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【日本100名城 No.83】宇和島城は何がすごい?現地で感じた現存天守・歴史・見どころを紹介

白漆喰の宇和島城天守と石垣を背景に、宇和島城の見どころを紹介する記事のアイキャッチ

宇和島城と聞くと、全国に12城しか残っていない「現存天守」を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。

城山の頂上に建つ、白漆喰の美しい天守。

たしかに、この天守は宇和島城を代表する見どころです。

しかし、宇和島城の魅力は天守だけではありません。

城山を登る途中には、時代や積まれ方の異なる石垣が残り、曲がりくねった登城道や石段からは、丘陵全体を守りに利用した平山城の構造を感じられます。

さらに、宇和島城の城郭を整備したのは築城名人として知られる藤堂高虎ですが、現在残る天守を建てたのは宇和島伊達家です。

現在は市街地に囲まれている宇和島城も、築城当時は海と近く、海を城の守りへ取り込んでいました。

宇和島城のすごさは、主に次の4点です。

宇和島城のすごいところ
  • 江戸時代から残る現存12天守の一つを内部まで見学できる
  • 藤堂高虎が整備した不等辺五角形の縄張や石垣が残る
  • 宇和島伊達家が建て替えた優美な天守と、城山を利用した守りを一緒に見られる
  • 現在は市街地にあるものの、築城時には海と近かった歴史を持つ

この記事では、宇和島城の歴史や見どころを、登城口から本丸へ向かう順番に沿って紹介します。

天守だけでなく、登城道、石垣、曲輪、門、城山の地形にも注目しながら、所要時間やアクセス、日本100名城スタンプなどの情報をまとめました。

宇和島城とは?

宇和島城うわじまじょうは、愛媛県宇和島市の中心部にある城山に築かれたお城です。

別名を「鶴島城」といいます。

城山の標高は約74メートル。

丘陵上に本丸や二之丸などの曲輪を置き、山麓の城郭や城下町と一体で機能していたことから、城の地形による分類では平山城にあたります。

宇和島市街地の中央にそびえる宇和島城の城山
宇和島市街地の中央に残る城山。丘陵上に本丸と天守が置かれている

一方、藤堂高虎が城を整備した当時は、城山の周囲まで海が迫っていました。

海や水を城の防御へ取り込んだ歴史を持つことから、海城としての特徴も持っています。

宇和島城の前身は、中世の板島丸串城です。

その城地を基礎として、1596年から1601年にかけて藤堂高虎が近世城郭へ整備しました。

その後、伊達政宗の長男・伊達秀宗が宇和島へ入り、宇和島城は宇和島伊達家9代の居城となります。

現在の天守は、藤堂高虎が築いた天守ではありません。

宇和島伊達家2代藩主・伊達宗利の時代に建て替えられたもので、江戸時代から残る現存12天守の一つとして保存されています。

項目 内容
城名 宇和島城
別名 鶴島城
所在地 愛媛県宇和島市丸之内
城の種類 平山城・海との関係を持つ城
近世城郭の主な築城者 藤堂高虎
主な城主 藤堂氏・宇和島伊達家
天守 現存天守
文化財 天守は国の重要文化財、城山は国史跡
日本100名城 No.83
主な見どころ 天守・石垣・登城道・曲輪・上り立ち門・城山郷土館

宇和島城の登城道と曲輪を示す城山案内図
説明板にある城山の案内図、城山に配置された曲輪の関係がわかりやすい

宇和島城は何がすごい?

宇和島城には、現存天守以外にもさまざまな見どころがあります。

ここでは、宇和島城のすごさを4つに分けて見ていきましょう。

宇和島城のすごさ 現地で注目したいもの
現存12天守の一つが残る 天守外観・柱・梁・床・階段
藤堂高虎の縄張が残る 不等辺五角形の城郭・曲輪・石垣
宇和島伊達家の歴史を見られる 現在の天守・城郭改修の跡
平山城と海との関係を学べる 城山・市街地・宇和島湾の位置関係

現存12天守の一つが残る

宇和島城天守は、江戸時代以前に建てられた天守が現在まで残る「現存12天守」の一つです。

復元天守や復興天守とは異なり、江戸時代の木造建築そのものを内部から見学できます。

ただし、現存天守とは「建築当初から一度も修理されていない建物」という意味ではありません。

宇和島城天守も、長い歴史の中で修理や保存工事を受けながら、現在まで受け継がれてきました。

外観は三重、内部は三階です。

大規模な天守ではありませんが、白漆喰の外壁や複数の破風が美しく配置され、宇和島伊達家の格式を感じさせる姿をしています。

天守とは何かを知ってから見学すると、屋根の重なり、破風、窓、天守台などにも注目しやすくなります。

宇和島城天守は、全国に12城だけ残る現存天守の一つです。

丸亀城や松山城、高知城など、ほかの現存天守との違いはこちらの記事で比較できます。

現存十二天守とは?12城の特徴を一覧で紹介

現存12天守の1つである宇和島城の天守
現存12天守の1つである宇和島城の天守

藤堂高虎が整備した不等辺五角形の縄張

宇和島城は、城郭の外周を上から見ると不等辺五角形になることで知られています。

一般的なお城の外郭を四角形としてイメージしていると、宇和島城の五角形は少し不思議に感じられるかもしれません。

宇和島城には、幕府の隠密が五角形の城を四角形と見誤って報告したという逸話も伝わっています。

藤堂高虎は、もともとの丘陵や海岸線を取り込みながら、曲輪、石垣、堀を配置しました。

宇和島城では、形の珍しさだけでなく、地形に合わせて城郭全体をどのように設計したのかを見ることが大切です。

お城全体の設計については、縄張とは?で詳しく紹介しています。

登城道に時代の異なる石垣が残る

宇和島城では、天守へ着くまでの登城道にも多くの石垣が残っています。

大きな自然石を組み合わせた石垣、比較的整った石が並ぶ石垣、修理によって積み直された石垣など、場所によって表情が異なります。

宇和島城の石垣は、すべてが藤堂高虎の時代に築かれたものではありません。

藤堂高虎による築城、宇和島伊達家による改修、幕末や近現代の修理など、異なる時代の石垣が城山の中に重なっています。

宇和島城の本丸への登城道にある石垣

藤堂高虎と宇和島伊達家の両方の歴史が残る

宇和島城の基本的な縄張を整えたのは藤堂高虎です。

しかし、現在残る天守は、藤堂高虎が建てた天守ではありません。

高虎の時代にも天守はありましたが、宇和島伊達家2代藩主・伊達宗利の時代に建て替えられました。

宇和島城では、藤堂高虎がつくった城郭の骨格と、宇和島伊達家が建てた現在の天守を分けて考える必要があります。

築城者と現在の天守を建てた人物が異なることが、宇和島城の歴史を面白くしているポイントです。

宇和島城の歴史

宇和島城の歴史は長いですが、現地の見どころを理解するためには、藤堂高虎と宇和島伊達家の時代を押さえておけば楽しみやすくなります。

時期 宇和島城のできごと
中世 板島丸串城と呼ばれる城があったとされる
1596年 藤堂高虎が近世城郭の整備を始める
1601年頃 高虎時代の宇和島城が完成する
1608年 藤堂高虎が宇和島を離れる
1615年 伊達秀宗が宇和島城へ入る
17世紀後半 伊達宗利が城郭を大規模に改修する
1666年頃 現在残る天守が建てられたと考えられている
明治時代 廃城後、城内の建造物の多くが失われる
1934年 天守が国宝保存法による国宝となる
1937年 城山一帯が国史跡となる
1950年 天守が文化財保護法による重要文化財となる
現在 現存12天守・日本100名城 No.83として公開される

藤堂高虎が近世城郭へ整備

藤堂高虎は、1596年から1601年頃にかけて宇和島城を近世城郭として整備しました。

高虎は丘陵だけでなく、当時の海岸線も城の縄張へ取り込んでいます。

城山の上に曲輪を重ね、麓には堀や城郭施設を設けることで、丘陵と海を利用した城をつくり上げました。

城山の造成、石垣、堀などの土木工事は、お城づくりでいう普請にあたります。

一方、天守や門、櫓などの建物を建てる工事は作事です。

伊達秀宗が宇和島へ入る

1615年、仙台藩主・伊達政宗の長男である伊達秀宗が、宇和島城へ入りました。

ここから宇和島伊達家の歴史が始まります。

宇和島城は、その後9代にわたり宇和島伊達家の居城となりました。

現在の宇和島市に残る伊達家ゆかりの文化や史跡も、この宇和島藩の歴史と深くつながっています。

伊達宗利が城郭と天守を改修

宇和島伊達家2代藩主の伊達宗利は、17世紀後半に宇和島城を大きく改修しました。

現在残る天守も、この改修期に建てられたものです。

宇和島城天守の完成時期については、近年も完成年代について研究が続いていますが、伊達宗利による城郭改修の中で、1666年頃に完成したと考えられています。

藤堂高虎の城と伊達家の天守は分けて考える

築城者と現在の天守を混同しない
  • 城郭の基本的な縄張は藤堂高虎が整えた
  • 高虎時代にも三重三階の天守があった
  • 現在残る天守は宇和島伊達家時代に建て替えられた
  • 現在の天守を藤堂高虎が築いた建物とは説明しない

宇和島城を見るときに、特に整理しておきたいのが「城を整備した人物」と「現在の天守を建てた人物」の違いです。

藤堂高虎が1601年頃に完成させた宇和島城にも、三重三階の天守がありました。

高虎時代の天守は、現在の天守とは外観や構造が異なっていたと考えられています。

その後、伊達宗利の時代に城郭の大改修が行われ、高虎時代の天守は現在残る天守へ建て替えられました。

項目 藤堂高虎時代 宇和島伊達家時代
主な役割 近世城郭として宇和島城を整備 藩の居城として城郭を改修
天守 高虎時代の三重天守 現在残る三重三階の天守
現地で見たいもの 縄張・曲輪・一部の石垣 現存天守・改修期の石垣
見方 城山全体の構成を見る 天守の建築と伊達家の歴史を見る

宇和島城の魅力は、この2つの時代が同じ城山の中に重なっていることです。

天守だけを見れば宇和島伊達家の城ですが、曲輪や石垣、城郭全体へ目を向けると、藤堂高虎が整えた城の姿が見えてきます。

宇和島城は海城だった?

現在の宇和島城は、市街地の中央にあります。

城山のすぐ近くまで海が迫っているわけではないため、初めて訪れると「本当に海と関係のある城だったのだろうか」と感じるかもしれません。

しかし、藤堂高虎が城を整備した当時は、現在より海岸線が近く、城の大部分が海に面していました。

海が天然の堀のような役割を果たし、城の防御や交通に利用されていたと考えられます。

その後、城下町や港の整備、埋め立てによって海岸線が変化し、現在は城山の周囲に市街地が広がっています。

宇和島城は、丘陵を利用した平山城であると同時に、海や水を守りへ取り込んだ歴史を持つ城です。

平山城と海城は、どちらか一方を選ぶ分類ではありません。

平山城は、主にどのような地形へ城を築いたかを表します。

一方、海城は、海を防御や交通へどのように取り込んだかを見る分類です。

詳しい違いは、海城とは?海に面したお城の特徴と見どころをわかりやすく解説で紹介しています。

宇和島城本丸から見た宇和島市街地と宇和島湾
現在は市街地に囲まれているが、築城時には城山の近くまで海が迫っていた

宇和島城のおすすめ登城ルート

登城前に最新の通行状況を確認

2026年7月時点では、斜面崩壊のため南側の上り立ち門側登城道が通行止めとなっています。

宇和島城へ登る場合は、北側の桑折氏武家長屋門側登城口を利用してください。

桑折氏武家長屋門では修理工事も行われているため、訪問前に宇和島城公式サイトで最新情報をご確認ください。

公開時点では、南側の上り立ち門側登城道が利用できません。

スポット 主な見どころ
シロシタ 観光情報・通行情報・城山マップ
桑折氏武家長屋門 北側登城口に移築された武家長屋門
城山郷土館 移築された旧山里倉庫
登城道・石段 城山の傾斜と折れ曲がる道
石垣 築城・改修・修理時期による違い
二之丸・本丸 天守へ至る城の中心部
宇和島城天守 現存12天守の木造建築
本丸からの眺望 市街地・港・山の位置関係
上り立ち門 現存する薬医門形式の城門

宇和島城の登城前に利用できる宇和島市観光情報センター・シロシタ
登城口にある「シロシタ」、登城前に立ち寄り、通行状況や城山マップを確認しておくと安心

桑折氏武家長屋門から城山へ入る

北側登城口にあるのが、桑折氏武家長屋門こおりしぶけながやもんです。

この門は、宇和島城の城門として現在地に残っている建物ではありません。

宇和島藩の家老を務めた桑折家の屋敷にあった武家長屋門を、1952年に現在地へ移築したものです。

長屋部分の一部は失われていますが、市内に残る貴重な武家屋敷建築として、宇和島市の有形文化財に指定されています。

宇和島城北側の桑折氏武家長屋門側登城口
宇和島城北側の登城口の入り口になっている桑折氏武家長屋門

城山郷土館と登城道

城山郷土館は移築された旧山里倉庫

城山内にある城山郷土館は、もともと宇和島城三之丸に建てられていた旧山里倉庫です。

江戸時代後期に武器庫として建てられ、1966年に城山内へ移築されました。

現在は、宇和島の歴史やゆかりの人物を紹介する施設として利用されています。

天守へ向かう前後に立ち寄ると、宇和島城と城下町の歴史を理解しやすくなります。

宇和島城内に移築された城山郷土館の外観
三之丸にあった旧山里倉庫を城山内へ移築し、郷土館として公開している

天守へ続く登城道と石段

宇和島城の登城道は、城山の木々の中を進みます。

市街地のすぐ近くにありますが、登城道へ入ると木々に囲まれ、山城を歩いているような雰囲気を感じられます。

城山の標高は約74メートルです。

数字だけを見ると低い丘に感じられるかもしれませんが、登城道には石段や傾斜があります。

平地を歩くのとは負担が異なるため、誰でも簡単に登れるとは限りません。

特に夏は、木陰があっても気温と湿度が高くなります。

飲み物を用意し、歩きやすく滑りにくい靴で登るのがおすすめです。

宇和島城天守へ続く城山の石段と石垣
段差や傾斜のある石段が続くため、足元に注意しながら登りたい

ここに注目

宇和島城では、天守へ到着するまでの登城道そのものが見どころです。

石段の傾きや道幅、曲がる方向、左右の高低差を見ながら歩くと、丘の頂上へ一直線に近づけないように構成されていることがわかります。

ただし、現在の園路が江戸時代の登城動線と完全に同じとは限りません。

案内図や現地の説明板と照らし合わせながら歩いてみてください。

宇和島城の石垣を見ながら登る

宇和島城では、場所によって石垣の表情が変わります。

大きな自然石を組み合わせた場所、比較的小さな石が多い場所、角を整えた場所、修理によって積み直された場所などがあり、同じ城の中でも違いを見比べられます。

宇和島城の石垣は、築城や改修、修理の時期によって分けて考えることができます。

場所 石垣を見るときのポイント
藤兵衛丸周辺 藤堂高虎による創建期の石垣が残るとされる
長門丸周辺 宇和島伊達家による大改修期の石垣に注目する
代右衛門丸周辺 異なる時期の石垣が見られる
本丸周辺 幕末を含む修理の跡に注目する

ただし、石垣の見た目だけで、築かれた年代や積み方を断定することはできません。

石垣の特徴を整理するときは、石材の加工度、石の並べ方、角部の組み方を分けて見る必要があります。

また、同じ城の中でも、築城、改修、修理の時期によって、石材や積まれ方が変わることがあります。

石垣の分類や修理跡の見方を詳しく見る

石垣で見たいポイント

  • 石の大きさはそろっているか
  • 石の表面はどの程度加工されているか
  • 石と石の間にどのくらい隙間があるか
  • 小さな石が間に詰められているか
  • 石垣の角はどのように組まれているか
  • 城山の自然斜面と石垣がどう接しているか
  • 修理された部分と古い部分に違いがあるか

石垣を専門用語だけで分類するのではなく、場所によって石の大きさや積まれ方がどのように変わるのかを見比べてみてください。

宇和島城の高石垣

本丸で宇和島城天守と対面する

城山を登り、本丸へ入ると白漆喰の宇和島城天守が姿を現します。

登城道では木々や石垣に視界を遮られる場所もあるため、本丸で天守が大きく見えたときには、城山を登り切った達成感があります。

宇和島城天守は、大規模な天守ではありません。

しかし、本丸で近くから見ると、三重の屋根や破風、白い外壁がまとまりよく配置されていることがわかります。

遠くから城下を圧倒するというよりも、本丸へ登った人が間近で建築の細部を楽しめる天守です。

正面だけでなく、斜めや側面へ回ると、屋根や破風の重なり方が変わって見えます。

宇和島城本丸へ入った直後に見える現存天守
登り切ると、本丸に白漆喰の宇和島城天守が姿を現す

宇和島城天守|現存12天守の一つ

宇和島城天守の特徴
  • 江戸時代から残る現存天守
  • 国の重要文化財
  • 独立式層塔型の三重三階
  • 宇和島伊達家2代・伊達宗利の時代に建て替えられた
  • 白漆喰や複数の破風を使った優美な外観を持つ

現存12天守とは?

江戸時代には多くの城に天守が建っていました。

しかし、江戸時代以前に建てられた天守が現在まで残る城は、全国に12城しかありません。

宇和島城は、その現存12天守の一つです。

現存天守は、建築当初から一度も修理されていない建物という意味ではありません。

宇和島城天守も、長い歴史の中で修理や保存工事を受けています。

それでも、江戸時代の木造建築そのものを現在まで伝えていることに、大きな価値があります。

独立式層塔型の三重三階

宇和島城天守は、独立式層塔型の三重三階に分類されます。

独立式とは、小天守や渡櫓などと接続せず、天守が単独で建っている形式です。

宇和島城では天守の周囲を歩くことができるため、ほかの建物と接続せず、単独で建っていることを確認できます。

層塔型とは、下から上へ規則的に屋根を重ねた天守の形式です。

宇和島城天守は、下層から上層へ向かって建物が小さくなり、三重の屋根が整って重なっています。

現地では、天守が単独で建っていることと、屋根が規則的に重なっていることを見てみてください。

白漆喰と破風がつくる優美な外観

宇和島城天守の外観では、白漆喰の外壁と、屋根に配置された破風が目を引きます。

破風とは、屋根に設けられた三角形や曲線状の装飾部分です。

宇和島城天守には、唐破風や千鳥破風などが配置されています。

白い壁と黒い屋根、複数の破風が組み合わさることで、比較的小ぶりながら格式を感じさせる姿になっています。

天守を見るときは、次の部分に注目してみてください。

  • 三重の屋根の重なり
  • 唐破風や千鳥破風の配置
  • 白漆喰の外壁
  • 窓の形と位置
  • 破風下の懸魚
  • 最上部の屋根と鯱
  • 建物を支える天守台

宇和島城天守の白漆喰壁と窓
窓の形や配置、白漆喰の外壁にも注目したい

上り立ち門|現存の薬医門、城山南側の登城口

上り立ち門のぼりたちもんは、城山南側の登城口に残る門です。

武家屋敷の正門などに使われる薬医門形式で、城門として残る薬医門の中でも大規模な建物です。

建築年代は確定していませんが、江戸時代初期までさかのぼる可能性がある貴重な門として、宇和島市の有形文化財に指定されています。

かつて南側の登城道には、天守へ至るまで複数の門が設けられていました。

現在残っている上り立ち門は、宇和島城の登城口を伝える重要な建造物です。

宇和島城南側登城口に残る上り立ち門
城山南側にある現存の上り立ち門

宇和島城とあわせて訪れたい施設

宇和島市観光情報センター「シロシタ」

シロシタは、宇和島城の登城前後に立ち寄りやすい観光案内施設です。

城山マップや市内観光の情報を確認できるため、最初に現在の通行状況を聞いておくと安心です。

宇和島市立伊達博物館

宇和島伊達家の歴史を詳しく知りたい場合は、宇和島市立伊達博物館も候補になります。

宇和島城では天守、石垣、曲輪などの城郭を見て、博物館では伊達家に伝わった資料を見る。

このように組み合わせると、宇和島城と宇和島伊達家の歴史がつながります。

天赦園

天赦園は、宇和島伊達家ゆかりの庭園です。

宇和島城とあわせて訪れると、城郭だけでなく、宇和島伊達家の文化にも触れられます。

季節によって庭園の見え方が変わるため、花の開花状況や公開時間を確認しておくのがおすすめです。

宇和島城の施設情報・アクセス・所要時間

以下は、執筆時で確認した情報をもとにしています。

営業時間、料金、通行状況、スタンプの取り扱いは変更される可能性があります。

訪問直前に、宇和島市または宇和島市観光物産協会の公式情報をご確認ください。

項目 内容
所在地 愛媛県宇和島市丸之内
最寄り駅 JR宇和島駅
日本100名城スタンプ 原則として宇和島城天守内
駐車場 城山下駐車場や周辺にも駐車場あり

JR宇和島駅から徒歩

JR宇和島駅から城山の麓までは、徒歩で移動できます。

駅から城山の入口までに加え、登城口から天守まで石段や傾斜のある道を登る必要があります。

地図上の移動時間だけでなく、城山を登る時間も考えて計画してください。

写真を撮りながら歩く場合は、案内されている徒歩時間より余裕を持っておくと安心です。

車でのアクセス

車の場合は、城山下駐車場など周辺の駐車場を利用します。

駐車場から天守までは徒歩で登ります。

駐車場の料金、利用時間、混雑状況とあわせて、訪問前に最新情報を確認してください。

路線バスを利用する場合

JR宇和島駅周辺から市内中心部を走る路線バスもあります。

ただし、停留所や運行本数が変更されることがあります。

徒歩移動を減らしたい場合は、宇和島駅前の案内所やシロシタで、訪問当日の路線と最寄り停留所を確認してください。

宇和島城の所要時間

宇和島城の所要時間は、天守だけを見るか、石垣や曲輪まで詳しく見るかによって変わります。

見学方法 所要時間の目安 向いている人
天守を中心に見る 約40~60分 時間が限られている人
主な見どころを見る 約1~1.5時間 天守・登城道・石垣をひと通り見たい人
城山を詳しく見る 約2時間 石垣・曲輪・郷土館まで詳しく見たい人

写真を多く撮る場合は、1時間30分から2時間程度を確保しておくと、急がずに見学しやすくなります。

宇和島城を見るときのチェックリスト

登城前に確認したいこと

  • 現在利用できる登城口はどこか
  • 上り立ち門側登城道の通行状況
  • 桑折氏武家長屋門の工事状況
  • 城山の開門時間
  • 天守の開館時間
  • 天守、郷土館、周辺施設の公開状況
  • 飲み物と歩きやすい靴を用意したか

登城道と石垣で見たいこと

  • 登城道はどの方向へ曲がっているか
  • 石段の傾斜や幅はどうなっているか
  • 城山の斜面と石垣がどのようにつながっているか
  • 石の大きさや加工は場所によって違うか
  • 石垣の角はどのように積まれているか
  • 修理された部分と古い部分に違いがあるか
  • 曲輪の平坦地と高低差を確認したか
  • どの曲輪を通って本丸へ向かっているか

本丸と天守で見たいこと

  • 天守は本丸のどこに建っているか
  • 外から何重、内部は何階か
  • 天守がほかの建物と接続せず独立しているか
  • 層塔型の規則的な屋根の重なりが見えるか
  • 唐破風や千鳥破風はどの面にあるか
  • 白漆喰、窓、懸魚、屋根、鯱を確認したか
  • 内部の柱、梁、床、階段を見たか
  • 本丸や天守から宇和島湾の方向を確認したか

歴史と縄張で確認したいこと

  • 現在の天守を建てたのが藤堂高虎ではないと理解したか
  • 藤堂高虎時代と宇和島伊達家時代の違いを確認したか
  • 不等辺五角形の縄張を案内図で見たか
  • 現在の市街地と築城時の海岸線を区別したか
  • 平山城と海城が異なる分類軸であることを確認したか

🏯 現地で見るポイント

宇和島城では、天守だけを見て帰らず、登城口から本丸までの道にも注目してください。

曲がりくねった登城道、傾斜のある石段、場所によって表情が異なる石垣をたどると、城山全体が防御施設として使われていたことがわかります。

本丸へ着いたら、白い天守だけでなく、市街地と宇和島湾の方向も確認してみてください。

現在の景色と築城時の海岸線を比べることで、丘陵を利用した平山城であり、海との関係を持つ城でもあった宇和島城の姿が見えてきます。

まとめ|宇和島城は天守へ着くまでの道も面白い

宇和島城は、全国に12城だけ残る現存天守の一つです。

現在の天守は、宇和島伊達家2代藩主・伊達宗利の時代に建て替えられた、独立式層塔型の三重三階天守です。

白漆喰の外壁や破風を備えた姿からは、江戸時代の格式ある建築を感じられます。

一方、城郭の基本的な縄張を整えたのは藤堂高虎です。

不等辺五角形とされる城郭、城山に残る曲輪、異なる時代の石垣を見ると、宇和島城が天守だけの城ではないことがわかります。

現在は市街地の中にありますが、築城当時は城山の近くまで海が迫っていました。

城山を利用した平山城であると同時に、海や水を守りへ取り込んだ歴史を持つことも、宇和島城の大きな特徴です。

宇和島城を訪れたら、現存天守だけを目的地にせず、登城口から天守までの城山全体を歩いてみてください。

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