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【日本100名城 No.42】掛川城は何がすごい?現地で感じた木造復元天守・現存御殿・歴史・見どころを紹介

掛川城は何がすごい?木造復元天守と現存御殿の見どころを紹介する記事のアイキャッチ 青空の下で丘陵上に立つ掛川城天守

掛川城は、復元された天守や二の丸御殿があります。

実際に歩いてみると、掛川城の魅力は天守や御殿だけではありませんでした。

日本初の本格木造復元天守と、江戸時代に再建された現存の掛川城御殿を一緒に見学できること。さらに、現存する大手門番所や太鼓櫓、復元された大手門と四足門、三日月堀や十露盤堀、城外へ移築された門まで見比べられることが、掛川城の大きな魅力です。

この記事の要点

・1994年に完成した日本初の本格木造復元天守
・江戸時代末期に再建された掛川城御殿が現存
・現存・復元・移築の建造物を見比べられる
・今川氏真、徳川家康、山内一豊の歴史が重なる
・掛川古城や竹の丸まで歩くと城の広がりがわかる

掛川城とは?

掛川城は、静岡県掛川市の中心部にある平山城ひらやまじろです。標高約57メートルの龍頭山りゅうとうざんに本丸を置き、その周囲へ二の丸や三の丸を広げました。

項目 内容
城名 掛川城
所在地 静岡県掛川市掛川1138番地の24周辺
日本100名城 No.42
別名 雲霧城、松尾城
城の種類 平山城
築城時期 掛川古城は文明年間初め、現在地の新城は1512〜1513年頃
主な築城者 今川氏の命を受けた朝比奈氏
主な改修者 山内一豊
主な城主 朝比奈氏、山内氏、江戸時代の掛川藩主
現在の天守 望楼型・三層四階の木造復元天守
主な文化財 掛川城御殿は国の重要文化財。太鼓櫓、大手門番所、蕗の門などは掛川市指定文化財
城跡の指定 城跡全体は国指定史跡ではなく、建造物などが個別に指定されている

築城年代は資料によって少し異なりますが、16世紀初頭に掛川古城から現在地へ城の中心が移ったと考えられています。

丘陵と平地を組み合わせた城の特徴は、平山城とは?でも紹介しています。

掛川城は何がすごい?

掛川城の4つの魅力

・木造復元天守の内部まで見学できる
・江戸時代の城郭御殿が残る
・現存・復元・移築の違いを比較できる
・戦国時代から保存・復元までの歴史が見える

見どころ 区分 注目したい点
天守 木造復元 木の柱・梁・階段、最上階からの眺望
掛川城御殿 現存 城主の公邸、公式行事、藩政の空間
大手門番所・太鼓櫓 現存 再建や移築を経て残る江戸時代末期の建物
大手門・四足門 復元 絵図や発掘調査をもとに再現された入口
蕗の門・油山寺山門 移築 廃城後に城外へ移された城門

掛川城の歴史

年代 主な出来事
文明年間初め 今川氏が朝比奈氏に掛川古城を築かせる
1512〜1513年頃 龍頭山に現在の掛川城が築かれる
1568年 武田信玄の駿河侵攻を受け、今川氏真が掛川城へ入る
1569年1月〜5月 徳川家康が包囲し、和議によって開城
1590年 山内一豊が入城し、天守・曲輪・城下町を整備
1600年以降 江戸時代は掛川藩の城として城主が交代
1854年 地震で天守や御殿が大きな被害を受ける
1855〜1861年 掛川城御殿などを再建。天守は再建されず
1869年以降 廃城となり、建物の取り壊し・移築・転用が進む
1994年 天守を本格木造で復元
1995年 大手門を木造で復元

今川氏真が籠城した掛川城攻め

1568年、武田信玄が駿河へ侵攻すると、今川氏真いまがわうじざねは朝比奈泰朝が守る掛川城へ逃れました。

徳川家康は城の周囲に砦を築いて包囲しましたが、掛川城はすぐには落ちません。約半年に及ぶ攻防の末、1569年5月に和議が成立し、氏真は城を明け渡して北条氏を頼りました。

山内一豊が近世城郭へ改修

1590年、山内一豊が5万石で入城します。

一豊は城域を拡張し、石垣や曲輪くるわ、天守、大手門、城下町を整備しました。現在の掛川城に見える近世城郭の骨格は、この時期の改修と深く関わっています。

ただし、現在の天守は一豊が建てた建物そのものではありません。江戸時代の天守は1854年の地震で倒壊し、現在の建物は1994年の木造復元です。

案内地図で掛川城の見学ルートを確認

掛川駅側から歩く場合は、次の順番にすると、城の表玄関から本丸へ近づく流れを感じられます。

大手門・大手門番所 → 三日月堀・十露盤堀・四足門 → 太鼓櫓・霧吹井戸 → 本丸・天守 → 二の丸御殿 → 竹の丸

掛川城天守・御殿・大手門・堀・竹の丸を示す案内地図

大手門は城公園の南側に離れているため、天守へ直行すると見落としやすい場所です。先に大手門へ立ち寄ってから本丸へ向かうのがおすすめです。

大手門と大手門番所|復元門と現存建造物を見比べる

現在の大手門は、発掘調査や絵図をもとに1995年に木造復元された櫓門です。間口は約12.7メートル、奥行は約5.4メートルあります。本来の大手門は、現在地より約50メートル南にありました。

木造の櫓門として復元された掛川城大手門

隣の大手門番所は、門を通る人を監視した役人の詰め所です。1854年の地震後、1859年に再建され、後に現在地へ移築されました。

大手門は復元、大手門番所は江戸時代末期の現存建造物です。並べて見ると、「新しく復元した門」と「移築を経て受け継いだ番所」の違いがよくわかります。

掛川城大手門の隣に残る木造の大手門番所

三日月堀・十露盤堀・四足門|本丸入口を守る仕組み

本丸入口では、門だけでなく、堀と高低差を組み合わせて守っていたことがわかります。このような城全体の配置を縄張なわばりといいます。

三日月堀

三日月堀は、本丸門前に設けられた三日月形の堀です。発掘調査では南側から石垣が見つかり、往時は約8メートルの深さがあったとされます。現在の姿は調査成果を踏まえて整備されたものです。

掛川城本丸入口に整備された三日月形の堀

十露盤堀

十露盤そろばん堀は、本丸を囲む内堀の一部です。名称の由来は明確ではありませんが、水がたまる部分がそろばんの箱のように見えることから名付けられたとも考えられています。

掛川城本丸を囲む水堀の十露盤堀

四足門

四足門は本丸へ通じる門です。本柱の前後に控柱を備える形式にちなむ名称で、門跡そのものは発掘で確認されませんでしたが、正保城絵図をもとに復元されました。周囲の堀や高低差と合わせると、本丸へ続く動線が絞られていたことを実感できます。

掛川城本丸入口に木造復元された四足門

ちなみに、頑張って撮ると、四足門の中に天守という構図で撮影できます。

四足門の中に天守を入れて額縁構図で撮影した天守

縄張を知ってから歩くと、三つの見どころを一続きの防御として捉えやすくなります。

太鼓櫓と霧吹井戸|城内に残る建物と伝説

時刻や合図を伝えた太鼓櫓

太鼓櫓たいこやぐらは、城下へ時刻を知らせる太鼓を納めた建物です。現在の櫓は1854年の地震後に再建され、もとは三の丸の東南にありました。1954年に現在地へ移築されています。

掛川城内に現存する二層の木造太鼓櫓

掛川城攻めの伝説が残る霧吹井戸

霧吹井戸は天守台の脇に残る井戸です。徳川家康が掛川城を攻めた際、井戸から霧が立ちこめて城を隠したという伝説があり、別名「雲霧城」とも結びつけられています。

井戸が残ることは確認できる事実、霧が城を守った話は伝説として分けて受け止めましょう。

掛川城天守台の脇に残る石組みの霧吹井戸

木造で復元された掛川城天守

天守で注目したいこと

・1994年に日本初の本格木造復元天守として完成
・外観三層、内部四階の望楼型
・残された図面と高知城などを参考に復元
・木の柱や梁、急な階段を体感できる

現在の天守は1994年4月に完成しました。掛川市や掛川城公式サイトは、日本初の本格木造復元天守と紹介しています。

外観は三層、内部は四階の望楼型です。木の柱や梁を組み、伝統的な構法で建てられたため、外観だけでなく木造天守の内部を体感できます。

復元では、残された図面に加え、高知城が参考にされました。高知城は山内一豊が土佐へ移った後に築いた城で、掛川城を模したとも伝えられています。

石垣の天守台に建つ三層四階の掛川城木造復元天守

天守とは?の記事で構造を知っておくと、柱・梁・床・階段にも目が向きます。

最上階からは掛川の市街地を見渡せます。城下町より高い場所を押さえた平山城であることを、眺望から実感できました。

掛川城天守最上階から見渡す掛川市街地の眺望

江戸時代の掛川城御殿が現存する

御殿の価値

・1854年の地震後、1855年から1861年に再建
・藩主の公邸、公式行事、藩政の場を伝える
・約20室に分かれ、役所部分まで残る
・転用されながら保存され、国の重要文化財に指定

天守と並んで時間をかけたいのが、掛川城御殿です。

御殿ごてんは、城主の生活だけでなく、家臣との対面、公式行事、藩の政治や事務に使われた建物です。

現在の御殿は1854年の地震後、1855年から1861年に再建されました。木造・桟瓦葺きで、7棟が連なり、約20室に分かれています。

掛川城二の丸に現存する江戸時代末期の掛川城御殿

建築は書院造しょいんづくりで、畳敷きの部屋が襖で区切られています。広間や書院だけでなく、小書院、用人室、大目付室などの役所部分まで残るため、藩主の生活と藩政の両方を読み取れます。

廃城後は学校、役所、市庁舎、農協、消防署などに転用されました。用途が変わりながらも使われ続けたことが、取り壊しを免れた理由の一つです。1980年、国の重要文化財に指定されました。

天守が城の象徴を伝える建物なら、御殿は政治と生活を伝える建物です。二つを続けて見学できることが、掛川城の大きな価値です。

掛川城御殿を歩くときは、畳敷きの部屋や書院造の美しさだけでなく、玄関から広間、書院、役所部分へと続く部屋の順番にも注目してみてください。

どの部屋で公式な対面が行われ、どこで藩の仕事が行われていたのかを意識すると、御殿が政治と生活を支えた建物だったことがわかりやすくなります。

御殿の役割・内部構造・現地での見どころを詳しく見る

城外へ移された掛川城の建造物

円満寺に残る蕗の門

蕗の門ふきのもんは、掛川城の内堀である蓮池のほとりにあり、侍町と本丸・二の丸・三の丸を結んでいた四脚門です。

廃城後の1872年に円満寺へ移築され、現在は掛川市指定文化財です。掛川城公園から徒歩で立ち寄れる距離にあります。

掛川城から円満寺へ移築された木造の蕗の門

国の重要文化財・油山寺山門

袋井市の油山寺ゆさんじに残る山門も、掛川城から移築された建造物です。

正式な文化財名称は油山寺山門。1659年に建てられた櫓門で、国の重要文化財に指定されています。

静岡県の資料では旧名を「玄関下御門」とする一方、「大手二の門」と紹介する資料もあります。

掛川城から移築され油山寺に残る国指定重要文化財の山門

油山寺は袋井市にあり、掛川城公園から徒歩で追加できる場所ではありません。車移動を前提に、行くことをおすすめします。

掛川古城と竹の丸から城の広がりを知る

掛川城の始まりを伝える掛川古城

掛川古城は、現在の掛川城より先に築かれた別の城跡です。今川氏が遠江進出の拠点として朝比奈氏に築かせ、その後、南西約500メートルの龍頭山へ城の中心が移りました。

現在は龍華院子角山公園として整備され、土塁や大堀切、山頂の龍華院大猷院霊屋を見られます。掛川城公園から徒歩約5分です。

土塁と大堀切が残る掛川古城跡の現地風景

曲輪の名を残す竹の丸

竹の丸は、山内一豊が城を拡張した頃に造成されたと考えられる曲輪くるわで、重臣の屋敷地として使われました。

現在の建物は江戸時代の城郭建築ではありません。掛川の葛布問屋だった松本家が1903年に建てた旧松本家住宅です。

掛川城の竹の丸に残る近代建築の旧松本家住宅

現在は建物や庭園の見学、貸館などに利用されています。曲輪とは?を知っておくと、天守から離れた竹の丸も城の一部だったことが見えてきます。

掛川城を見学したあとに立ち寄りたい周辺スポット

スポット 特徴 立ち寄る目的
二の丸茶室 掛川茶と和菓子を楽しめる 城見学後に休憩したい
掛川市二の丸美術館 工芸品や企画展を展示 歴史と美術を楽しみたい
掛川市ステンドグラス美術館 歴史的なステンドグラスを展示 建築や美術にも触れたい
本丸花広場 天守近くの広場 散策しながら休憩したい

時間が限られる場合は天守と御殿を優先し、周辺施設は残り時間に合わせて追加しましょう。

🏯 現地で見るポイント

  1. 大手門は復元、大手門番所は現存である違い
  2. 三日月堀・十露盤堀・四足門の位置関係
  3. 本丸へ近づくほど高低差と入口の守りが強まること
  4. 太鼓櫓が城下へ合図を伝えた役割
  5. 霧吹井戸の位置と、伝説・史実の違い
  6. 木造復元天守の柱・梁・床・急な階段
  7. 最上階から見える城下町と平山城の地形
  8. 御殿の対面空間と藩政の部屋の配置
  9. 天守と御殿の役割の違い
  10. 掛川古城、竹の丸、移築門まで含めた城の広がり

掛川城の所要時間とおすすめの回り方

見学範囲 所要時間の目安 主な見どころ
天守と御殿を中心に見学 60〜90分 天守内部、眺望、御殿
掛川城公園を一通り見学 90〜120分 大手門、堀、櫓、井戸、天守、御殿
竹の丸や周辺施設も見学 2〜3時間 城内、竹の丸、茶室、美術館
掛川古城・蕗の門まで歩く 3時間前後 掛川城、古城、竹の丸、移築門
油山寺山門まで巡る 半日以上 掛川城周辺と袋井市の油山寺

天守の急な階段や御殿の各部屋を丁寧に見る場合は、掛川城公園だけでも2時間ほど確保すると落ち着いて回れます。

掛川城の基本情報・アクセス・100名城スタンプ

以下は、執筆時点の公式情報です。

項目 内容
所在地 静岡県掛川市掛川1138番地の24
開館時間 9:00〜17:00(最終入館16:30)
休館日 年中無休(臨時変更あり)
天守・御殿入場料 大人410円、小中学生150円
共通券 天守と御殿は同じ入場券で見学可能
電車 JR掛川駅から徒歩約7分
東名高速道路掛川ICから約10分
駐車場 大手門駐車場183台、掛川城公園駐車場57台。いずれも24時間
駐車料金 5時間まで30分100円、5時間超24時間まで1,000円
日本100名城スタンプ 掛川城御殿内。開館時間中に押印可能
御城印 二の丸御殿売店で販売
天守内部 約60度の階段あり。エレベーター・エスカレーターなし
写真撮影 館内表示と係員の案内を確認。商用撮影は事前申請
バリアフリー 天守は階段のみ。段差があるため必要に応じて事前確認

掛川城天守が描かれた日本100名城 No.42のスタンプ
掛川城は日本100名城 No.42。スタンプは掛川城御殿内にあります

営業時間、料金、休館日、スタンプ設置場所などは変更される場合があります。訪問前に公式サイトで最新情報を確認してください。

まとめ|掛川城は天守だけではもったいない

掛川城には、1994年に完成した日本初の本格木造復元天守があります。しかし、掛川城の価値は天守だけではありません。

江戸時代に再建された掛川城御殿、大手門番所、太鼓櫓が残り、大手門と四足門は木造で復元されています。三日月堀、十露盤堀、霧吹井戸からは、本丸の守りと掛川城攻めの物語を読み取れます。

掛川古城と竹の丸を歩けば、城の始まりと拡張が見えます。蕗の門や油山寺山門まで訪ねれば、廃城後に建造物が別の場所で受け継がれた歴史もわかります。

掛川城を訪れたら、天守へ直行するだけでなく、大手門から堀、門、櫓、井戸、御殿へと歩いてみてください。

復元された天守と、江戸時代から残る御殿や番所を見比べることで、戦国時代の築城から地震、廃城、保存、復元へと続く掛川城の歴史をより深く感じられます。

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