
「日本三名城とは、どのお城のこと?」
調べてみると、大阪城・名古屋城・熊本城と書かれていることもあれば、姫路城が入っていることもあります。さらに「日本三大名城」という呼び方もあり、「結局どの3城が正解なの?」と迷いやすいテーマです。
結論からいうと、日本三名城には、国や公的機関が定めた固定の3城はありません。
代表的な組み合わせの一つが大阪城・名古屋城・熊本城です。一方で、名古屋城・熊本城・姫路城を挙げる資料や、規模を重視して江戸城・大坂城・名古屋城を挙げる資料もあります。
大切なのは「現在もっとも価値の高い城トップ3」と考えるのではなく、どの資料が、何を基準に名城と評価しているのかを見ることです。
日本三名城に公式に固定された3城はありません。
大阪城・名古屋城・熊本城は代表的な組み合わせの一つです。
名古屋城・熊本城・姫路城という説もあります。
規模を基準に江戸城・大坂城・名古屋城を挙げる資料もあります。
文化財指定や現在の保存状態だけで決まる呼称ではありません。
- 日本三名城とは?公式に選ばれた3城ではない
- 日本三名城にはどんな説がある?
- なぜ大阪城・名古屋城・熊本城が三名城とされるの?
- 姫路城が入る三名城もある
- なぜ姫路城ではなく大阪城なの?
- なぜ江戸城は入らないの?
- 日本三名城は誰が決めた?荻生徂徠説は原典で確認できない
- 日本三名城はどんな基準で選ばれた?
- 日本三名城と国宝5城・現存12天守は何が違う?
- 🏯 現地で見るポイント|三名城は「天守だけ」で比べない
- まとめ|「どの3城が正解か」より、なぜ名城と呼ばれたかを見る
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日本三名城とは?公式に選ばれた3城ではない
日本三名城とは、日本を代表する名城を三つ挙げるときに使われてきた呼称です。
ただし、国宝や特別史跡のような文化財制度ではなく、文化庁などが選定したものでもありません。
国立国会図書館のレファレンス協同データベースに掲載された名古屋市鶴舞中央図書館の調査でも、複数の城郭書を確認したうえで、三名城には諸説があり、一つに断定しにくいことが整理されています。
「日本三名城」と「日本三大名城」は違う?
現在は、「日本三名城」と「日本三大名城」が近い意味で使われることが多いと考えてよいでしょう。前述のレファレンス調査も「日本三大名城あるいは日本三名城」という一つの問いとして両方を調べています。
ただし、歴史的に両者が完全な同義語として定義されたわけではありません。資料によって表記も組み合わせも揺れるため、本記事では「日本を代表する三つの名城を挙げる慣用的な呼称」として扱います。
日本三名城にはどんな説がある?
少なくとも、次の三つの組み合わせを資料上確認できます。
| 組み合わせ | 資料例 | 主な見方 |
|---|---|---|
| 大坂城・名古屋城・熊本城 | 『城郭』(1993年)、『名城名鑑 中』(1965年)など | 近世の大城郭、規模、縄張、築城技術 |
| 名古屋城・熊本城・姫路城 | 『国宝姫路城』(1964年)、『播州歴史散歩』(1976年)など | 壮大な城郭建築、天守・櫓・石垣など |
| 江戸城・大坂城・名古屋城 | 『刻印石で楽しむ三大名城の石垣物語』(2011年)など | かつての城郭規模、天下普請 |
組み合わせの違いは、評価軸の違いでもあります。
近世末の番付・名数表を重視する整理があります。
姫路城を含む資料も昭和期から確認できます。
かつての規模を基準に江戸城を含める考え方もあります。

大坂城・名古屋城・熊本城
レファレンス調査が引用する西ケ谷恭弘『城郭』では、近世末に流行した番付表や名数表で江戸城を別格とし、大坂城・名古屋城・熊本城を三名城としたという整理が紹介されています。ほかにも1960年代以降の複数資料でこの三城を確認できます。
ただし、全国で唯一この3城に決まっていたという意味ではありません。
名古屋城・熊本城・姫路城
1964年刊『国宝姫路城』など、昭和期の資料でもこの組み合わせが確認できます。
注意したいのは、姫路城がいつ三名城に加わったのかについて資料間で説明が一致しないことです。近代・明治以降と整理する資料がある一方、江戸時代の番付に姫路・熊本・名古屋を挙げたとする資料もあります。
そのため、「明治時代に大阪城から姫路城へ正式交代した」とは断定できません。
江戸城・大坂城・名古屋城
城郭のかつての規模を重視すると、江戸城・大坂城・名古屋城を三城とする考え方もあります。
これは「規模が三名城の正式な基準」という意味ではなく、評価軸を規模に置いた場合の組み合わせです。
なぜ大阪城・名古屋城・熊本城が三名城とされるの?
大阪城・名古屋城・熊本城は、現在の天守が現存しているかどうかだけでは評価できません。三城とも、石垣・堀・曲輪・門・櫓・御殿を含む城郭全体の規模と技術、政治的重要性に大きな特徴があります。
| 城 | 名城として注目したい特徴 | 現在の天守・主要建築 |
|---|---|---|
| 大阪城 | 巨大石垣と堀、天下人の城、徳川幕府による再築 | 天守閣は1931年の復興。大手門・多聞櫓・千貫櫓などが現存 |
| 名古屋城 | 公儀普請、巨大天守、金鯱、本丸御殿、巧妙な縄張 | 現天守閣は1959年再建で閉館中。本丸御殿は復元 |
| 熊本城 | 加藤清正、石垣、複雑な曲輪と防御構造 | 天守は1960年再建。宇土櫓など13棟が重要文化財 |
三城は「天守の新旧」ではなく城郭全体で見るのがポイントです。
大阪城=巨大石垣と堀、徳川再築。
名古屋城=公儀普請と近世城郭の完成度。
熊本城=石垣と曲輪を組み合わせた防御構造。

大阪城|天下人と徳川幕府が築いた巨大城郭
歴史上の城郭は「大坂城」、現在の施設・一般名称は「大阪城」と使い分けます。
大坂城の前身は、織田信長と石山合戦を戦った大坂本願寺です。その跡地に豊臣秀吉が1583年から大城郭を築きましたが、豊臣期の大坂城は1615年の大坂夏の陣で失われました。
その後、徳川幕府が大坂城を大規模に再築します。現在地上で見られる石垣や堀、大手門、多聞櫓、千貫櫓などは徳川時代以降のものです。
蛸石をはじめとする巨石、高石垣、広い水堀は、城郭そのものの巨大さを伝えます。大手門や多聞櫓、千貫櫓などの重要文化財建造物も見どころです。
現在の天守閣は豊臣期・徳川期に続く三代目で、1931年に市民の寄付で建てられた復興天守。大坂城跡は国の特別史跡です。大阪城が名城と語られる背景には、天下人の拠点という政治性と、徳川幕府が築き直した巨大城郭があります。
名古屋城|徳川家康が築いた近世城郭の到達点
名古屋城公式サイトは、名古屋城を「家康が築いた近世城郭の到達点」と位置づけています。
徳川家康は1610年、加藤清正や福島正則ら西国・北国の大名20家を動員し、公儀普請で築城を開始しました。東海道の防衛と大坂の豊臣方への備えを担い、その後は尾張徳川家の居城となります。
金鯱を掲げた五層五階の大天守は史上最大級で、天守台石垣は加藤清正が担当。高い石垣、深い堀、巨大な隅櫓、巧妙な縄張を備え、公式サイトも「近世城郭の完成形といえる」と紹介しています。
天守と本丸御殿は1945年の空襲で焼失。現天守閣は1959年に鉄骨鉄筋コンクリート造で再建され、現在は耐震性の問題から閉館中です。本丸御殿は実測図・古写真・障壁画などをもとに復元され、2018年に全体公開されました。
名古屋城跡は国の特別史跡。公儀普請、巨大天守、本丸御殿、尾張徳川家の政治拠点という総合力が大きな特徴です。
熊本城|加藤清正の築城技術を伝える堅城
熊本城は、加藤清正が1590年代から整備を進め、1607年に新城が完成したとされます。1632年に細川忠利が入り、以後は細川家の居城となりました。
大きな特徴は幾重にも重なる石垣です。下部は比較的緩やかで上へ行くほど急になる反りを持つ石垣は、公式サイトでも「武者返し」と紹介されています。石垣、曲輪、櫓、門を組み合わせた立体的な守りに、堅城としての性格が表れています。
1877年の西南戦争直前の火災で天守や本丸御殿などを失いましたが、宇土櫓など13棟が現存し、国の重要文化財です。大小天守は1960年に鉄骨鉄筋コンクリート造で再建されました。
2016年の熊本地震では甚大な被害を受け、天守閣は2021年に復旧。城内では現在も復旧工事が続いています。熊本城跡は国の特別史跡です。
熊本城公式サイトでも「日本三名城の一つに称される」と紹介されていますが、これは三名城が国による固定リストであることを意味しません。
姫路城が入る三名城もある
名古屋城・熊本城・姫路城を日本三名城とする資料もあります。
姫路城は1601年から池田輝政が大改築を進め、1609年に大天守と三つの小天守を渡櫓で結ぶ連立式天守が完成しました。
大天守・小天守・渡櫓の8棟が国宝で、さらに櫓・門・土塀など74棟が重要文化財。1993年には世界文化遺産に登録されました。天守だけでなく、多数の建造物や石垣、堀、複雑な縄張がまとまって残る保存状態の高さが大きな特徴です。
ただし、「姫路城が高く評価されたため、後から大阪城に代わって正式加入した」とは説明できません。そもそも三名城に公式枠がなく、資料ごとに組み合わせが異なるからです。
なぜ姫路城ではなく大阪城なの?
Q.国宝・世界遺産の姫路城より、大阪城が三名城に入るのはなぜ?
A.現在の保存状態や文化財指定だけで三名城が決まったわけではないからです。
姫路城は現存建築と保存状態で非常に高い価値を持ちます。一方、大坂城・名古屋城・熊本城を挙げる資料では、規模、縄張、石垣、築城技術、政治的重要性なども評価されています。
「大阪城と姫路城のどちらが上か」ではなく、評価軸が違うと考えるのが適切です。
なぜ江戸城は入らないの?
Q.巨大な江戸城が三名城に入らないのはなぜ?
A.江戸城を必ず除外する決まりはありません。
大坂城・名古屋城・熊本城の説には、近世末の番付・名数表で江戸城を別格としたと説明する資料があります。一方、かつての規模を基準に江戸城・大坂城・名古屋城を三名城とする資料もあります。
江戸城が入らない説があることは、名城としての評価が低いという意味ではありません。
日本三名城は誰が決めた?荻生徂徠説は原典で確認できない
日本三名城について検索すると、「荻生徂徠が『鈐録外書』で大阪城・名古屋城・熊本城を選んだ」という説明を見かけます。
しかし、この説はそのまま事実として扱えません。
名古屋市鶴舞中央図書館のレファレンス調査では、Wikipediaに『鈐録外書』を根拠とする説明があったため該当資料を確認したものの、そのような記述は見当たらなかったと報告されています。
ここに注目|「広く書かれている」と「原典で確認できる」は別
現時点で確認できる資料から、荻生徂徠という一人の人物が三城を選んだとは裏づけられません。 『鈐録外書』を日本三名城の起源とする説明も、本記事では採用しません。
「誰が決めた?」への答えは、特定の一人が決めたと確定できるものではない、となります。
日本三名城はどんな基準で選ばれた?
三名城には公式な採点表がありません。次は正式な選定基準ではなく、名城を考えるための主な視点です。
| 評価軸 | 何を見る? |
|---|---|
| 規模 | 城域、曲輪、堀、石垣など |
| 縄張 | 曲輪、虎口、防御線、大手道の配置 |
| 築城技術 | 石垣、堀、土木・建築技術 |
| 建造物 | 天守、御殿、櫓、門など |
| 防御力 | 地形と石垣・堀・曲輪の組み合わせ |
| 政治的重要性 | 天下人、将軍家、有力大名との関係 |
| 保存状態 | 現存する建造物や遺構 |
現在残る建築を重視すれば姫路城の存在感が大きくなり、かつての規模を重視すれば江戸城を含む考え方も成り立ちます。三名城の組み合わせが揺れるのは、評価軸が一つではないからです。
日本三名城と国宝5城・現存12天守は何が違う?
日本三名城だけは、固定された文化財区分や選定リストではありません。
国宝5城は、国宝指定された天守・天守群を持つ5城をまとめた呼び方です。
現存12天守は、江戸時代までに建てられた天守が現在まで残る12城です。
日本100名城は、日本城郭協会が選定した100城です。
| 呼び方 | 何を表す? | 対象は固定されている? |
|---|---|---|
| 日本三名城 | 名城として語られてきた慣用的な呼称 | いいえ。諸説あり |
| 国宝5城 | 国宝に指定された天守・天守群を持つ5城 | 文化財指定から対象が明確 |
| 現存12天守 | 江戸時代までに建てられた天守が現存する12城 | 対象が明確 |
| 日本100名城 | 日本城郭協会が選定した100城 | 100城が明確 |
詳しくは、国宝5城とは?、現存十二天守とは?、天守とは?もあわせてご覧ください。

🏯 現地で見るポイント|三名城は「天守だけ」で比べない
大阪城・名古屋城・熊本城を訪れるなら、次の5点を意識してみてください。
- 規模:本丸だけでなく、曲輪や堀まで含めて見る
- 縄張:曲輪、虎口、大手道のつながりを見る
- 石垣・堀:高さだけでなく、防御線との関係を見る
- 建造物:天守、御殿、櫓、門の役割を見る
- 政治的背景:誰が、何のために築いたのかを見る
大阪城は巨大な石垣と堀、名古屋城は巨大天守・本丸御殿・公儀普請、熊本城は石垣・曲輪・防御構造に注目すると、三城の違いがわかりやすくなります。
石垣の見方は、石垣とは?で詳しく紹介しています。

まとめ|「どの3城が正解か」より、なぜ名城と呼ばれたかを見る
日本三名城について整理すると、次のようになります。
- 公式に固定された3城はない
- 大阪城・名古屋城・熊本城は代表的な組み合わせの一つ
- 名古屋城・熊本城・姫路城という説もある
- 規模を重視して江戸城・大坂城・名古屋城を挙げる資料もある
- 姫路城が含まれる時期も資料間で説明が一致しない
- 荻生徂徠・『鈐録外書』を起源とする説は、原典で該当記述を確認できないため採用しない
- 国宝5城や現存12天守とは性格が異なる
日本三名城は、「どの三城が正解か」だけを覚えるより、なぜその城が名城と評価されたのかを見ると、ぐっと面白くなります。
規模、縄張、石垣、建造物、築城技術、政治的背景。評価された理由を城郭全体から見ていくと、お城を見る楽しみがさらに広がります。