
日本各地には、天守のあるお城が数多くあります。
しかし、そのすべてが江戸時代から残る建物というわけではありません。
現在見られる天守の多くは、明治時代以降に失われた建物を復元・復興したものです。江戸時代までに建てられた天守が、修理や保存工事を受けながら現在まで残っている城は、全国に12城しかありません。
この12城を、現存十二天守、または「現存12天守」と呼びます。
ただし、現存天守とは「築城当初の姿や部材が、一度も変わらずに残っている天守」という意味ではありません。
先代の天守が焼失したあと江戸時代に再建された天守、時代ごとに改修された天守、大規模な解体修理や部材交換を受けた天守も含まれています。
現存天守の価値は、単に古いことだけではありません。
柱や梁、床、急な階段、窓、狭間など、江戸時代までに築かれた木造天守そのものを歩きながら見られることが大きな魅力です。
この記事では、現存十二天守の意味、12城の一覧、国宝5城と重要文化財7城の違い、それぞれの天守の特徴、現地で注目したいポイントを紹介します。
・江戸時代までに建てられた天守が残るのは全国に12城
・現存とは、一度も修理や改修を受けていないという意味ではない
・現存十二天守は、国宝5城と重要文化財7城に分けて紹介される
・天守の規模、外壁、形式、立地は城ごとに大きく異なる
・外観だけでなく、柱・梁・床・階段など建物内部も見どころ
- 現存十二天守とは?
- 現存・復元・復興・模擬天守の違い
- なぜ現存天守は12城しか残っていないのか
- 現存十二天守の一覧
- 国宝5城と重要文化財7城
- 現存十二天守を北から順に紹介
- 現存十二天守はどこが違う?
- 現存天守では内部の建物そのものを見る
- 初めての現存天守巡りはどこから始める?
- 現存十二天守を見るときのチェックリスト
- まとめ
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現存十二天守とは?
・江戸時代までに建てられた木造天守が残る12城の総称
・文化財保護法に定められた正式な指定区分ではない
・修理や部材交換を受けながら、歴史的な建物として受け継がれている
・すべてが、その城に最初に建てられた天守とは限らない
現存十二天守とは、江戸時代までに建てられた天守が、現在まで残っている12城の総称です。
対象となるのは、北から順に次の12城です。
- 弘前城
- 松本城
- 丸岡城
- 犬山城
- 彦根城
- 姫路城
- 松江城
- 備中松山城
- 丸亀城
- 松山城
- 宇和島城
- 高知城
「現存十二天守」や「現存12天守」は広く使われている呼び方ですが、文化財保護法にこの名称の指定区分があるわけではありません。
文化財制度では、12城の天守や天守を構成する建造物が、それぞれ国宝または国の重要文化財に指定されています。
天守そのものの役割や、望楼型・層塔型、独立式・連立式といった基本的な分類については、先に次の記事を読むと理解しやすくなります。
天守とは?お城の象徴になった建物の役割と見どころをわかりやすく解説
「現存」は一度も手を加えていないという意味ではない
現存天守と聞くと、築城当時の木材や外観が、そのまま手つかずで残っているように感じるかもしれません。
しかし、数百年にわたって木造建築を維持するには、屋根の葺き替え、壁の塗り直し、傷んだ部材の交換、耐震補強などが欠かせません。
現存十二天守にも、さまざまな修理や変化があります。
例えば、弘前城の現在の天守は、先代天守が落雷で焼失したあと、1810年に再建されたものです。
高知城の現在の天守も、1727年の大火で先代天守が焼失したあと、1749年に再建されました。
丸岡城天守は、1948年の福井地震で倒壊しましたが、旧材をできる限り再利用して修理されています。
弘前城では、本丸石垣の修理にともない、天守を建物ごと移動させる曳屋も行われました。
このような修理や移動があっても、江戸時代までに建てられた建物としての歴史や構造が受け継がれているため、現存天守に数えられています。
つまり、現存天守の価値は、一度も変化していないことではなく、必要な修理を重ねながら歴史的建築を守り続けてきたことにあります。
すべてが築城当初の天守ではない
現存十二天守のなかには、その城に最初に建てられた天守ではないものもあります。
弘前城、高知城、松山城では、先代の天守が火災や落雷によって失われたあと、江戸時代に現在の天守が再建されました。
宇和島城でも、藤堂高虎が築いた天守と、現在残る宇和島伊達家時代の天守は別の建物です。
そのため、現存天守を一律に「築城当初から残る天守」と説明するのは正確ではありません。
現在の天守がいつ、誰の時代に建てられたのかを確認すると、それぞれの城が歩んだ歴史が見えやすくなります。
現存・復元・復興・模擬天守の違い
お城を巡っていると、現存天守のほかに「復元天守」「復興天守」「模擬天守」といった言葉も見かけます。
これらの呼び方は、公的資料や研究者によって細かな使い方に違いがありますが、整理すると次のようになります。
| 分類 | おおまかな意味 | 現地で注目したいこと |
|---|---|---|
| 現存天守 | 江戸時代までに建てられた天守が残る | 柱・梁・床・階段など歴史的建築そのもの |
| 復元天守 | 絵図・写真・図面などの資料をもとに、かつての姿を再現 | どの資料を根拠に、どこまで再現したか |
| 復興天守 | かつて天守があった城に、城の象徴として再建 | 歴史的外観との違いや再建された時代 |
| 模擬天守 | 天守がなかった場所や、実際とは異なる姿で建設 | 展望施設・資料館としての役割 |
復元天守には、鉄筋コンクリートで外観を再現した「外観復元」と、伝統的な木造建築で構造まで再現する「木造復元」などがあります。
一方、復興天守は、史料が十分に残っていない部分を補いながら、地域の象徴や観光施設として建てられた天守を指すことが一般的です。
模擬天守は、その城に歴史上天守がなかった場合や、実際に存在した天守とは大きく異なる姿で建てられた建物を指します。
ただし、現存天守だけに価値があり、復元・復興・模擬天守には価値がないということではありません。
復元天守からは、失われた城の規模や景観を想像できます。
復興天守や模擬天守も、地域の歴史を伝える資料館、展望施設、戦後復興の象徴などとして大切な役割を担っています。
分類を知る目的は、天守に順位をつけることではなく、目の前の建物がどのような経緯で現在の姿になったのかを理解することです。
天守や門、櫓、御殿などの建築工事については、次の記事でも詳しく解説しています。

なぜ現存天守は12城しか残っていないのか
日本には、江戸時代までに多くの天守が建てられました。
それでも現在まで残った天守が12城だけなのは、一つの原因ではなく、火災、制度の変化、老朽化、災害、戦災などが重なったためです。
火災や落雷で失われた
木造の天守にとって、火災は大きな脅威でした。
城下町からの延焼だけでなく、天守への落雷によって火災が起きた例もあります。
弘前城の先代天守は1627年、松山城の先代天守は1784年に落雷で焼失しました。
城内には防火の工夫もありましたが、高層の木造建築を火から完全に守ることは困難でした。
焼失後に再建された城もあれば、幕府の許可、藩の財政、時代の変化などによって再建されなかった城もあります。
一国一城令で多くの城が整理された
江戸幕府は1615年、原則として一つの国に一つの城だけを残す一国一城令を出しました。
これにより、領内の支城や不要と判断された城が廃止され、多くの建物が解体・移築されました。
ただし、一国一城令だけで全国の天守が12城になったわけではありません。
藩の本拠となった城の天守も、その後の火災や災害、明治時代の解体、戦災などによって失われています。
明治時代に多くの城郭建築が解体された
明治時代になると、城は軍事・行政の中心としての役割を失いました。
1873年に出された城郭の存廃方針は、一般に廃城令と呼ばれています。
城跡の扱いは城ごとに異なり、軍用地として使用された場所もあれば、建物が払い下げられ、解体された場所もありました。
そのため、「廃城令によって全国の天守が一斉に壊された」と考えるのは正確ではありません。
建物が残された城でも、維持費の負担や老朽化により、取り壊しの危機に直面しています。
松本城では、明治時代に天守が売却され、解体される可能性がありました。
しかし、市川量造らが天守で博覧会を開き、その収益や寄付によって買い戻したことが、保存につながりました。
地震や台風などの災害を受けた
天守は長い年月のなかで、地震、台風、強風、大雨などにもさらされてきました。
丸岡城天守は1948年の福井地震で倒壊しています。
その後、部材を回収・整理し、旧材をできる限り使って修理されたことで、現在まで受け継がれました。
「現存」という言葉の背景には、建物が自然に残ったのではなく、災害後に修理して守った人々の努力も含まれています。
第二次世界大戦の空襲で失われた
第二次世界大戦末期には、都市への空襲によって複数の天守が失われました。
名古屋城の旧国宝天守は1945年の空襲で焼失し、広島城天守も原子爆弾によって倒壊しました。
現在は再建された天守から、それぞれの城の歴史や戦災について学ぶことができます。
現存十二天守は、火災や災害を免れただけでなく、保存運動、修理工事、文化財保護などが重なったことで残りました。
12城が残った理由は城ごとに異なるため、それぞれの保存の歴史にも注目すると、現存天守の見方が深まります。
現存十二天守の一覧
現存十二天守を、北から順に一覧で整理すると次のようになります。
| 城名 | 所在地 | 天守の特徴 | 文化財指定 |
|---|---|---|---|
| 弘前城 | 青森県弘前市 | 1810年に再建された三重三階の天守 | 重要文化財 |
| 松本城 | 長野県松本市 | 黒い外壁と5棟で構成される天守群 | 国宝 |
| 丸岡城 | 福井県坂井市 | 石瓦を載せた二重三階の天守 | 重要文化財 |
| 犬山城 | 愛知県犬山市 | 木曽川沿いに建つ三重四階の天守 | 国宝 |
| 彦根城 | 滋賀県彦根市 | 多彩な破風を持つ三重三階の天守 | 国宝 |
| 姫路城 | 兵庫県姫路市 | 大天守と3基の小天守を結ぶ天守群 | 国宝・世界文化遺産 |
| 松江城 | 島根県松江市 | 黒い下見板張が印象的な四重五階の天守 | 国宝 |
| 備中松山城 | 岡山県高梁市 | 山上に残る二重二階の天守 | 重要文化財 |
| 丸亀城 | 香川県丸亀市 | 高石垣の上に建つ三重三階の天守 | 重要文化財 |
| 松山城 | 愛媛県松山市 | 幕末期に再建された連立式の天守 | 重要文化財 |
| 宇和島城 | 愛媛県宇和島市 | 宇和島伊達家が建てた独立式天守 | 重要文化財 |
| 高知城 | 高知県高知市 | 本丸御殿と接続する望楼型天守 | 重要文化財 |
表に記載した重数と階数は、外から見える屋根の重なりと、内部の床の数を示しています。
天守によって地下階や屋根裏階の数え方が異なることもあるため、資料によって階数表記に違いが見られる場合があります。
また、姫路城の国宝指定と世界文化遺産登録は別の制度です。
国宝は日本の文化財保護法に基づく建造物の指定であり、世界文化遺産はユネスコの世界遺産条約に基づく登録です。
国宝5城と重要文化財7城
・国宝5城は松本城・犬山城・彦根城・姫路城・松江城
・重要文化財7城は弘前城・丸岡城・備中松山城・丸亀城・松山城・宇和島城・高知城
・城跡全体が国宝になっているという意味ではない
・指定対象となる建造物の範囲は城ごとに異なる
国宝5城
現存十二天守のうち、国宝に指定された天守を持つ次の5城は、一般に国宝5城と呼ばれています。
- 松本城
- 犬山城
- 彦根城
- 姫路城
- 松江城
国宝は、国が指定する重要文化財のなかから、さらに高い文化的価値を持つものとして指定されます。
ただし、「松本城という城跡全体が国宝」「姫路城のすべての建物が国宝」という意味ではありません。
国宝に指定されている建造物の範囲は、城によって異なります。
例えば松本城では、大天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟が国宝です。
彦根城では、天守だけでなく、天守に接続する附櫓と多聞櫓を含む建造物が国宝に指定されています。
姫路城でも、大天守、小天守、渡櫓など複数の建造物が国宝天守群を構成しています。
そのため、国宝5城を巡るときは、どの建物が国宝に指定されているのかまで確認すると、見学の焦点がはっきりします。
5城それぞれの国宝指定の対象や、重要文化財・世界遺産・史跡との違いについては、次の記事で詳しく比較しています。
国宝5城とは?姫路城・松本城・彦根城・犬山城・松江城をわかりやすく解説
重要文化財7城
残る次の7城の天守は、国の重要文化財に指定されています。
- 弘前城
- 丸岡城
- 備中松山城
- 丸亀城
- 松山城
- 宇和島城
- 高知城
これらの城では、天守だけでなく、門、櫓、土塀、本丸御殿などが重要文化財になっている場合もあります。
高知城では天守に加えて、本丸御殿である懐徳館、追手門、黒鉄門、櫓、土塀など複数の建造物が重要文化財です。
松山城でも、天守のほか、門や櫓など多くの建造物が重要文化財として残っています。
国宝と重要文化財の違いは文化財制度上の区分であり、国宝天守のほうが、重要文化財の天守よりも城めぐりの価値が高いという意味ではありません。
山城の地形とともに残る備中松山城、小規模な天守と高石垣を一緒に見られる丸亀城、本丸の建造物群がまとまって残る高知城など、重要文化財7城にも、それぞれに代えがたい価値があります。
| 区分 | 対象となる城 |
|---|---|
| 国宝5城 | 松本城・犬山城・彦根城・姫路城・松江城 |
| 重要文化財7城 | 弘前城・丸岡城・備中松山城・丸亀城・松山城・宇和島城・高知城 |

なお、現存十二天守や国宝5城と、日本三名城はまったく別の考え方です。
現存十二天守は、江戸時代までに建てられた天守が現在まで残っている12城をまとめた呼び方です。
一方、日本三名城は「名城」として語られてきた呼称で、公式に固定された3城があるわけではありません。
大阪城・名古屋城・熊本城を挙げる説だけでなく、姫路城や江戸城を含む説もあります。
現存十二天守を北から順に紹介
ここからは、現存十二天守を北から順に紹介します。
天守の歴史を長く並べるのではなく、現在の天守が建てられた時期、建物の特徴、現地で注目したいポイントを中心に整理します。
弘前城|江戸時代後期に再建された東北唯一の現存天守
青森県弘前市にある弘前城の現在の天守は、先代の五重天守が1627年に落雷で焼失したあと、1810年に再建されました。
三重三階の独立した天守で、国の重要文化財に指定されています。
二の丸側から見える東面・南面には破風や張り出しが設けられていますが、本丸側は比較的簡素です。見る方向によって印象が変わる点も弘前城天守の特徴です。
現地で見るポイント: 天守だけでなく、二の丸に残る櫓や城門、堀、石垣との位置関係を見てみましょう。石垣修理にともない天守の位置や公開状況が変わるため、訪問前には弘前市の公式情報を確認してください。

松本城|戦国期と江戸初期の建物がつながる国宝天守群
長野県松本市にある松本城は、大天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟で構成される国宝天守群です。
松本市は、大天守・乾小天守・渡櫓を1593〜1594年ごろ、辰巳附櫓・月見櫓を江戸時代初期の建築とする見解を示しています。
黒い下見板張の外壁が印象的ですが、内部では戦いに備えた建物と、泰平の時代に増築された月見櫓の違いも見どころです。
現地で見るポイント: 大天守だけを見るのではなく、5棟がどのようにつながっているかを外観と内部の両方から確認してください。月見櫓では、狭間や石落としが少ない平和な時代の建築にも注目しましょう。

丸岡城|築造年代の研究が進む石瓦の天守
福井県坂井市にある丸岡城天守は、二重三階の独立式望楼型天守で、国の重要文化財です。
かつては「1576年に建てられた日本最古の現存天守」と紹介されることがありました。
しかし、2015年から2018年に行われた総合学術調査により、現在の天守は寛永年間の1624〜1643年に建てられたとする見解が坂井市から示されています。
屋根に石製の瓦が使われていることも、大きな特徴です。
現地で見るポイント: 石瓦だけでなく、望楼型天守の上下で異なる外観、急な内部階段、柱や梁に注目しましょう。1948年の福井地震による倒壊と、その後の修理の歴史を知ってから見ると、建物を守り継いだ価値が伝わります。

犬山城|木曽川を見下ろす廻縁付きの国宝天守
愛知県犬山市にある犬山城天守は、三重四階の望楼型天守で、国宝に指定されています。
犬山城自体は1537年の築城と伝えられますが、天守は一度に現在の姿が完成したのではなく、複数の時期に増築・改修されたと考えられています。
そのため、築造年代を一つの年だけで説明するのではなく、建物が形成された過程を見ることが大切です。
最上階には、外側を歩ける廻縁が巡ります。
現地で見るポイント: 最上階から木曽川や濃尾平野を眺めるだけでなく、地下階の石垣、階ごとに異なる広さ、増築によって生まれた構造の違いも確認しましょう。

彦根城|小規模な建物に多彩な意匠を凝縮した国宝天守
滋賀県彦根市にある彦根城天守は、1606年ごろに完成した三重三階の天守です。
天守、附櫓、多聞櫓が国宝に指定されています。
建物の規模は姫路城や松本城ほど大きくありませんが、切妻破風、入母屋破風、唐破風などが組み合わされ、見る方向によって表情が変わります。
現地で見るポイント: 天守単体だけでなく、天秤櫓、太鼓門櫓などを通って本丸へ進む登城ルートにも注目してください。複数の門や櫓を越えた先に天守が現れることで、城全体の防御を体感できます。

姫路城|大天守と小天守がつながる大規模な天守群
兵庫県姫路市にある姫路城は、慶長年間の17世紀初頭に現在の大天守を中心とする城郭が整えられました。
五重六階・地下1階の大天守と、東小天守、乾小天守、西小天守を渡櫓で結ぶ大規模な連立式天守群が残っています。
白漆喰で壁や軒裏まで塗り込めた外観は、防火性を高めるとともに、姫路城を象徴する景観をつくっています。
姫路城は国宝建造物を持つだけでなく、1993年に世界文化遺産へ登録されました。
現地で見るポイント: 大天守の高さだけでなく、複数の小天守と渡櫓が囲む空間、複雑に曲がる登城ルート、門や土塀から狙われる仕組みを一緒に見てください。

松江城|黒い外観と大きな柱が印象的な国宝天守
島根県松江市にある松江城天守は、1611年に完成した四重五階・地下1階の天守です。
外壁下部を覆う黒い下見板張と、上層の白壁が重なる外観が特徴で、2015年に国宝へ指定されました。
天守内部では、長い木材を確保するために複数の材を組み合わせた柱や、地階の井戸など、建物を支える工夫を見ることができます。
現地で見るポイント: 外からは黒い外壁と屋根の重なり、内部では太い柱と梁の組み方を見比べましょう。天守だけでなく、堀や石垣、城下町との近さにも注目すると、平山城としての立地がわかります。

備中松山城|山上に残る唯一の現存天守
岡山県高梁市にある備中松山城天守は、1681年から1683年ごろに整備された二重二階の天守です。
標高約430メートルの小松山城跡に建ち、現存天守が残る唯一の山城として高梁市から案内されています。
天守だけでなく、二重櫓や土塀も重要文化財として残り、自然の岩盤と石垣が組み合わされた山城らしい景観を見られます。
現地で見るポイント: 天守だけを目的地にせず、山道、切り立った地形、岩盤の上に築かれた石垣、天守・二重櫓・土塀の位置関係を見ながら歩きましょう。

丸亀城|高石垣の頂上に残る小規模な現存天守
香川県丸亀市にある丸亀城天守は、1660年に完成した三重三階の天守で、国の重要文化財です。
高さは約15メートルで、現存十二天守のなかでは比較的小規模です。
「現存天守で最小」と紹介されることもありますが、高さ、建築面積、延べ床面積など、何を比べるかによって表現が変わります。
丸亀城では、天守だけでなく、山麓から本丸まで何層にも重なる石垣が大きな見どころです。
現地で見るポイント: 大手門から見返り坂を登り、三の丸・二の丸・本丸へ進みながら、天守と高石垣の位置関係を確認してください。天守の規模以上に、城山全体を使った景観の大きさを感じられます。
【日本100名城 No.78】丸亀城は何がすごい?現存天守・石垣・見どころを紹介

松山城|幕末期に再建された連立式天守
愛媛県松山市にある松山城では、1784年に先代の天守群が落雷で焼失しました。
現在の大天守は嘉永5年(1852)に再建され、安政元年(1854)には本壇の再建が整ったとされています。
現存十二天守のなかでは最も新しい時期に建てられた天守で、国の重要文化財です。
現在の本壇では、現存する大天守と、昭和以降に木造復元された小天守・櫓・多聞櫓などがつながり、連立式天守の構成を体感できます。
現地で見るポイント: 現存建造物と復元建造物を確認しながら歩き、建物同士が通路でどのようにつながっているかを見てください。天守からは松山市街や瀬戸内海方面を見渡せます。

宇和島城|宇和島伊達家が建て替えた優美な天守
愛媛県宇和島市にある宇和島城天守は、宇和島伊達家2代藩主・伊達宗利の時代、1660年代に建て替えられた三重三階の天守です。
国の重要文化財で、独立式層塔型の天守として紹介されています。
藤堂高虎が宇和島城を整備した時代にも天守がありましたが、現在残る天守は、その建物を宇和島伊達家が建て替えたものです。
白漆喰を中心とした外観は、石落としや大きな狭間を目立たせず、御殿のような優美さがあります。
現地で見るポイント: 外観だけでなく、階段、柱、梁、窓から見える本丸や宇和島市街にも注目してください。登城道に残る石垣と天守を一緒に見ることで、城山を利用した平山城の構造がわかります。
【日本100名城 No.83】宇和島城は何がすごい?現存天守・歴史・見どころを紹介

高知城|天守と本丸御殿がまとまって残る城
高知県高知市にある高知城の先代天守は、1727年の城下町大火で焼失しました。
現在の天守は1749年に再建されたもので、国の重要文化財です。
四重の外観を持つ望楼型天守で、最上階には高欄を備えた廻縁があります。
高知城では、天守と本丸御殿である懐徳館が接続し、本丸の門、櫓、土塀などもまとまって残っています。
現地で見るポイント: 天守内部だけでなく、本丸御殿から天守へ続く動線を歩いてみましょう。山麓では、現存する追手門と天守を一緒に見られる景観も見逃せません。

現存十二天守はどこが違う?
現存十二天守は、すべて同じ時代・構造・規模の建物ではありません。
比較するときは、単純な順位ではなく、次のような違いに注目すると楽しみやすくなります。
| 見方 | 注目したい城 | 見どころ |
|---|---|---|
| 大規模な天守群 | 姫路城・松本城・松山城 | 複数の天守・櫓・渡櫓のつながり |
| 小規模な独立天守 | 丸亀城・宇和島城 | 限られた空間の構造と意匠 |
| 黒い外壁 | 松本城・松江城 | 下見板張と白壁の組み合わせ |
| 白漆喰の外観 | 姫路城・宇和島城・高知城 | 壁や軒裏の塗り方 |
| 山城の天守 | 備中松山城 | 山の地形・岩盤・石垣との関係 |
| 高石垣との景観 | 丸亀城 | 山麓から本丸まで重なる石垣 |
| 廻縁からの眺望 | 犬山城・高知城 | 最上階の外周と城下町の景色 |
| 本丸建造物群 | 高知城 | 天守・御殿・門・櫓・土塀 |
| 多彩な破風 | 彦根城・姫路城 | 見る方向で変わる屋根の表情 |
立地を示す平城・平山城・山城と、天守の構造を示す望楼型・層塔型、独立式・連立式は、別の分類軸です。
例えば、備中松山城は山城という立地の分類であり、二重二階の天守は独立して建っています。
丸亀城や宇和島城は平山城に分類され、山上の本丸に小規模な独立天守が残ります。
平地、丘陵、山地といった城の立地については、次の記事でも解説しています。
ここに注目|「何重」と「何階」は同じではない
天守の説明では、「三重四階」「五重六階」のように、重数と階数が別々に書かれます。
重は外から見える屋根の重なり、階は内部の床の数です。
犬山城は外観が三重ですが、内部は四階あります。
姫路城大天守も、外観は五重ですが、内部は地上六階と地下階で構成されています。
望楼型天守では、大きな屋根の内部に階が隠れていることがあるため、外から見た屋根の数と内部の階数が一致しない場合があります。
現地では、外観を見たあとに内部を歩き、「この階は外からどの屋根の中に見えていたのか」を考えると、天守の構造がわかりやすくなります。
ここに注目|現存天守で最古なのはどこ?
現存天守について調べると、「日本最古」という表現を見かけることがあります。
しかし、最古という言葉は、天守全体の完成時期、現存する部材、現在の姿が整った時期、特定の形式や規模など、比較基準によって答えが変わります。
丸岡城は長く「1576年築の最古の現存天守」と紹介されてきましたが、坂井市の総合学術調査では、現在の天守を寛永年間の建築としています。
犬山城も古い形式を残しますが、複数の時期に増築・改修されたと考えられており、完成年代を一つの年だけに固定するのは簡単ではありません。
松本城公式は、大天守・乾小天守・渡櫓を1593〜1594年ごろの築造とし、現存する五重六階の天守として最古と説明しています。
そのため、「現存天守で最古はどこか」を考えるときは、何を基準に最古とするのかまで確認する必要があります。
現存天守では内部の建物そのものを見る
・展示物だけでなく、柱・梁・床・階段を見る
・階ごとの広さや柱の配置を比べる
・窓や狭間から本丸・曲輪・城下町を見る
・古い部材と修理された部分の違いを探す
・急な階段や公開ルールを事前に確認する
現存天守へ入ると、甲冑、武具、古写真、城主に関する資料などに目が向きやすくなります。
しかし、現存天守では、展示物を収めている建物そのものが文化財です。
柱を見れば、建物の重さをどのように支えているかがわかります。
曲がった木をそのまま使った梁、太さの異なる柱、継ぎ足された部材からは、当時の木材調達や建築技術を読み取れます。
階段の角度や幅も、現在の建物とは大きく異なります。
防御や限られた空間を優先した天守では、階段が非常に急で、上の階へ進むほど床面積が狭くなることがあります。
窓や狭間から外を眺めると、天守が本丸、門、石垣、城下町に対してどの位置に建っているのかもわかります。
石落としがある場合は、その真下に天守台や入口があるかを確認すると、防御施設としての役割を想像しやすくなります。
🏯 現地で見るポイント
現存天守へ入ったら、展示物だけを見て通り過ぎず、次の順番で建物を見てみてください。
まず、入口で天守台の石垣と地下階の関係を確認します。
次に、柱の太さ、梁の向き、階段の位置を見ながら上へ進みます。
上の階では、下の階よりどのくらい狭くなったかを比べてみましょう。
最後に、窓から本丸、門、櫓、城下町を眺めると、天守が城内でどのような位置に置かれていたのかがわかります。
同じ現存天守でも、丸亀城や宇和島城のような小規模な独立天守と、姫路城や松本城のように複数の建物がつながる天守群では、内部を歩いた印象が大きく異なります。
なお、現存天守には急な階段が多く、建物の構造上、エレベーターなどを設置することが難しい場合があります。
靴を脱いで見学する城、撮影できない場所がある城、荷物の持ち込みや入場人数を制限する城もあります。
保存修理や災害、混雑によって公開範囲が変わることもあるため、訪問前に各城の公式サイトを確認してください。
初めての現存天守巡りはどこから始める?
現存十二天守に絶対的な「初心者向けの一城」があるわけではありません。
住んでいる地域、交通手段、体力、見たい建築によって選び方が変わります。
| 見たいもの・目的 | 候補となる城 |
|---|---|
| 大規模な天守群を歩きたい | 姫路城・松本城・松山城 |
| 国宝天守を巡りたい | 松本城・犬山城・彦根城・姫路城・松江城 |
| 高石垣と天守を一緒に見たい | 丸亀城 |
| 山城を登って天守を見たい | 備中松山城 |
| 小規模で優美な天守を見たい | 宇和島城 |
| 本丸の建造物群を見たい | 高知城 |
| 東北地方の現存天守を見たい | 弘前城 |
| 川や湖と天守の景観を見たい | 犬山城・彦根城・松江城 |
| 保存修理の歴史にも注目したい | 弘前城・松本城・丸岡城 |
四国には、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城の4城があります。
現存十二天守の3分の1が四国に集まっているため、複数回の旅行で組み合わせて巡るのも一つの楽しみ方です。
一方、備中松山城は山道を歩く必要があり、弘前城では石垣修理が続いています。
天守の公開状況、交通規制、工事、入場方法は変わることがあるため、旅行前に必ず最新情報を確認しましょう。
現存十二天守を見るときのチェックリスト
現存天守へ行く前と、現地で見学するときに確認したい項目を、4つに分けて整理します。

歴史と文化財
- □ 国宝か重要文化財か
- □ どの建造物が文化財に指定されているか
- □ 現在の天守はいつ建てられたか
- □ その城で最初に建てられた天守なのか
- □ 火災、災害、建て替え、修理を経験しているか
天守の外観
- □ 外から見える屋根は何重か
- □ 望楼型か層塔型か
- □ 独立式か、複数の建物がつながっているか
- □ 白漆喰と下見板張のどちらが目立つか
- □ 破風はどの面に配置されているか
- □ 狭間や石落としはどこにあるか
天守の内部
- □ 内部は何階あるか
- □ 柱と梁はどのように組まれているか
- □ 階段の角度、幅、位置はどうなっているか
- □ 階ごとに床面積がどう変わるか
- □ 古い部材と修理された部材を見分けられるか
城全体との関係
- □ 天守は本丸のどこに建っているか
- □ 天守台や周囲の石垣はどのような形か
- □ 天守から門・櫓・曲輪がどう見えるか
- □ 城下町、川、湖、海、山との位置関係はどうなっているか
- □ 天守以外に現存する門・櫓・御殿・土塀があるか
- □ 工事や保存修理による公開制限がないか
すべてを一度の訪問で確認する必要はありません。
最初は「外壁」「階段」「天守からの景色」など、気になる項目を3つほど決めておくだけでも、天守の見え方が変わります。
まとめ
・現存十二天守は、江戸時代までに建てられた天守が残る12城
・現存は、築城当時から一度も修理されていないという意味ではない
・国宝5城と重要文化財7城がある
・規模、外壁、形式、立地、築造時期は城ごとに異なる
・現地では展示だけでなく、柱・梁・床・階段など建物そのものを見る
現存十二天守とは、江戸時代までに建てられた天守のうち、明治時代の解体、火災、災害、戦災などを乗り越え、現在まで受け継がれてきた12城の天守です。
対象となるのは、弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城です。
国宝5城は、松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城です。
弘前城、丸岡城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城の天守は、国の重要文化財に指定されています。
ただし、現存天守とは、建築当初から部材や姿がまったく変わっていない建物ではありません。
先代天守の焼失後に江戸時代に再建された天守、時代ごとに改修された天守、地震後に旧材を使って修理された天守もあります。
必要な保存工事を重ねながら、歴史的な木造建築を次の時代へ受け継いできたことが、現存天守の大きな価値です。
現地では天守の外観だけでなく、柱、梁、床、階段、窓、狭間、石落としにも目を向けてみてください。
さらに、天守台、本丸、門、櫓、石垣、堀、城下町との関係まで見ると、天守が城全体の一部であることがわかります。
天守が残っている城だけが、価値の高い城というわけではありません。
天守が失われた城にも、石垣、堀、土塁、曲輪、門、御殿跡など、その城の歴史を伝える大切な遺構があります。
現存十二天守を入口にしながら、天守だけではないお城全体の見どころにも注目してみてください。
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