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【日本100名城 No.78】丸亀城は何がすごい?現地で感じた現存天守・石垣・歴史・見どころを紹介

丸亀城の玄関先御門・番所と山上の現存天守を背景に、見どころを紹介する記事のアイキャッチ

丸亀城といえば、全国に12城しか残っていない現存天守の一つとして知られています。

そのため、初めて丸亀城を訪れる方のなかには、「山の上にある天守を見に行くお城」というイメージを持っている方も多いかもしれません。

しかし、実際に大手門の前へ立つと、天守より先に目を奪われるのが、亀山を包むように何層にも重なる石垣です。

山麓には大手一の門・二の門と水堀があり、その背後には高石垣、さらに頂上には白い天守が見えます。

大手門を抜けて見返り坂を登り、三の丸・二の丸・本丸へ進むと、石垣と曲輪くるわが段状に重なっていることを体感できます。

丸亀城のすごさは、主に次の4点です。

丸亀城は何がすごい?

・山麓から本丸まで、何層にも重なる高石垣を歩いて見られる
・大手門・高石垣・天守が一体となった景観が残る
・江戸時代から残る現存12天守の一つを内部まで見学できる
・見返り坂、二の丸井戸、玄関先御門、石垣復旧PR館など、天守以外にも見どころが多い

この記事では、大手門から本丸まで実際に登っていく順番に沿って、丸亀城の歴史、石垣、現存天守、見どころ、所要時間、施設情報を紹介します。

丸亀城とは?

丸亀城の基本

・香川県丸亀市の亀山に築かれた平山城
・生駒氏が築城を始め、山崎氏・京極氏が整備した
・山上に現存12天守の一つが残る
・何層にも重なる石垣から「石垣の名城」と呼ばれる
・日本100名城のNo.78

丸亀城は、香川県丸亀市の中心部にある標高約66メートルの亀山に築かれた平山城ひらやまじろです。

丸亀市の公式資料では、別名を「亀山城」と紹介しています。

城内は、本丸、二の丸、三の丸、帯曲輪、山下曲輪で構成され、山麓から山頂へ向かって曲輪と石垣が段状に重なっています。

国の史跡に指定され、日本100名城にも選ばれています。

丸亀城を最初に築いたのは、生駒親正・一正父子です。

ただし、現在見られる丸亀城のすべてを生駒氏が完成させたわけではありません。

生駒氏時代の城は一国一城令によって廃城となり、その後、山崎氏が城を再築しました。

現在につながる山上の縄張や高石垣の多くは山崎氏時代に整えられ、京極氏時代に現在の天守や大手門が完成しています。

項目 内容
城名 丸亀城
別名 亀山城
所在地 香川県丸亀市一番丁
城の種類 平山城
主な築城・整備者 生駒氏・山崎氏・京極氏
主な城主 生駒氏・山崎氏・京極氏
天守 現存天守・三重三階
文化財 天守・大手一の門・大手二の門は国の重要文化財
史跡 国指定史跡
日本100名城 No.78
主な見どころ 高石垣・大手門・見返り坂・二の丸井戸・現存天守

亀山のような丘陵と平地を組み合わせた城の特徴については、平山城とは?の記事で詳しく解説しています。

丸亀城の案内図

丸亀城は何がすごい?

丸亀城では、天守や門を一つずつ見るだけでなく、山麓から山頂までの高低差と、曲輪を支える石垣の重なりを見ることが大切です。

丸亀城の特徴 現地で確認したい場所
何層にも重なる高石垣 見返り坂・三の丸・二の丸・本丸
大手門と天守が一緒に見える景観 水堀・大手門前
現存12天守 本丸・天守内部
天守以外の多彩な遺構 大手門・鏡石・二の丸井戸・玄関先御門
文化財を守る取り組み 石垣復旧工事・石垣復旧PR館

山麓から本丸まで何層にも重なる石垣

丸亀城の最大の特徴は、亀山の斜面を包むように築かれた石垣です。

大手門から見上げると、一枚の巨大な壁が山頂まで続いているように感じます。

しかし、実際には山麓、三の丸、二の丸、本丸という複数の曲輪があり、それぞれを支える石垣が段状に重なっています。

香川県観光協会の資料では、山麓から山頂まで重なる石垣の総高が約60メートルあり、この総高を基準として日本一と紹介されています。

つまり、「一層の石垣が約60メートルある」という意味ではありません。

一層の単独石垣では、三の丸坤櫓台の約31メートルが全国2位と紹介されています。

大手門・高石垣・天守が一枚の景観に収まる

丸亀城の大手口では、水堀、大手門、高石垣、山頂の天守が一度に視界へ入ります。

城の入口から中心部までの高低差が一枚の景色に収まるため、これから自分がどこまで登るのかを想像しやすい場所です。

大手門の前では、門だけを近くから見るのではなく、少し離れて背後の石垣と天守まで見上げてください。

山麓を守る門と、山上の曲輪・天守が一体となっていることが、丸亀城らしさをよく表しています。

丸亀城の大手門と天守

現存12天守の一つが残る

本丸には、1660年に完成した三重三階の木造天守が残っています。

丸亀城天守は、江戸時代以前に築かれ、現在まで残る「現存12天守」の一つです。

文化財資料での正式な表記は「三重三階櫓、本瓦葺」で、国の重要文化財に指定されています。

丸亀市の観光資料では、総床面積を基準として「日本一小さな天守」と紹介されています。

規模は大きくありませんが、山麓から何層もの石垣を見上げた先に建つため、城下からは小ささを感じさせない存在感があります。

天守の役割や、現存・復元・復興天守の違いについては、天守とは?の記事もあわせてご覧ください。

丸亀城天守は、江戸時代までに建てられた天守が残る「現存十二天守」の一つです。

全国に残る12城の一覧や、国宝5城・重要文化財7城の違いはこちらで紹介しています。

現存十二天守の一覧とそれぞれの見どころを紹介

天守へ着くまでにも見どころが続く

丸亀城は、天守へ最短距離で向かうよりも、登城途中の建造物や石垣を順番に見た方が楽しめます。

大手口には重要文化財の大手一の門・二の門が残り、大きな鏡石も見られます。

山麓には玄関先御門や番所があり、見返り坂を登ると三の丸高石垣、二の丸井戸、本丸からの眺望へと見どころが続きます。

最後に現存天守へ到着する流れそのものが、丸亀城の大きな魅力です。

丸亀城の歴史

丸亀城の歴史は、生駒氏による築城、山崎氏による再築、京極氏による完成という三つの段階に分けると理解しやすくなります。

丸亀城のできごと
1597年 生駒親正・一正父子が亀山で築城を開始する
1602年 生駒一正が高松城へ移り、丸亀城には城代が置かれる
1615年 一国一城令によって丸亀城が廃城となる
1641年 山崎家治が西讃岐の藩主となる
1643年 山崎家治が丸亀城の再築を始める
1645年 現在の縄張に近い丸亀城を描いた正保城絵図が作られる
1658年 京極高和が丸亀藩主となる
1660年 現在残る天守が完成する
1670年 大手口が北側の現在地へ整備される
1869年 城内屋敷の火災により御殿などが焼失する
1876〜1877年頃 多くの櫓や多聞櫓が取り壊される
1950年 天守の解体修理が完成し、重要文化財となる
1953年 丸亀城跡が国の史跡に指定される
1957年 大手一の門・二の門が重要文化財となる
1963年 玄関先御門・番所・長屋などが香川県指定文化財となる
2018年 豪雨や台風の影響で南西部の石垣が崩落する
現在 石垣復旧工事と文化財の保存整備が続けられている

生駒氏時代の丸亀城は、現在とは異なる縄張を持っていました。

一国一城令で廃城となったあと、山崎家治が幕府の許可を得て再築します。

1645年の正保城絵図では山上の縄張が現在の姿とほぼ一致しており、丸亀市は高石垣を山崎氏の整備によるものと説明しています。

山崎氏の絶家後、1658年に京極高和が入封し、1660年に現在の天守が完成しました。

1670年には大手口が現在の北側へ移され、大手一の門・二の門が整えられています。

現在の天守を「生駒氏が築城した当時から残る天守」と説明するのは正確ではありません。

生駒氏が丸亀城の築城を始め、山崎氏が現在につながる高石垣と縄張を整え、京極氏時代に天守と大手口が完成したという流れで見ることが大切です。

丸亀城のおすすめ登城ルート

今回の記事では、丸亀城の正面となる大手口から入り、見返り坂、三の丸、二の丸、本丸へ進みます。

順番 スポット 主な見どころ
1 大手門・水堀 城の正面と山頂の天守
2 大手二の門 外側に建つ高麗門
3 大手枡形・大手一の門 進路を曲げる空間と櫓門
4 鏡石 大手口に置かれた大型石材
5 玄関先御門・番所 旧藩主居館に関係する現存建造物
6 見返り坂 三の丸へ続く急坂
7 三の丸高石垣 丸亀城を代表する石垣
8 三の丸 二の丸・本丸を囲む広い曲輪
9 二の丸 石垣・曲輪・二の丸井戸
10 本丸 天守と城下町の眺望
11 丸亀城天守 現存12天守の一つ
12 石垣復旧PR館 石垣を保存・復旧する取り組み
13 丸亀市立資料館 生駒・山崎・京極氏と城下町の歴史

丸亀市の公式案内では、大手門から天守まで徒歩で片道約20分です。

ただし、これは立ち止まらずに登った場合の目安に近く、写真を撮りながら石垣を見学すると、より時間がかかります。

見学方法 所要時間の目安
天守と主要な石垣を中心に見る 約60〜75分
写真を撮りながら大手門から本丸まで歩く 約90〜120分
資料館・石垣復旧PR館まで見る 約2時間30分〜3時間30分

※上記は、大手門から天守までの公式所要時間に、各スポットの撮影・見学時間を加えた記事上の目安です。

大手門・水堀から丸亀城を見上げる

丸亀城の正面にあたるのが、城の北側に設けられた大手口です。

水堀に沿って大手門が建ち、その背後に高石垣と天守が重なって見えます。

大手門の周辺では、門だけを近くから撮影するのではなく、少し離れて水堀、門、石垣、天守を一緒に見てください。

山麓から本丸までの高さが一目でわかり、丸亀城の縄張を立体的に捉えやすくなります。

水堀は、大手口へ近づく動きを制限し、門や石垣と組み合わせて城の正面を守る役割を持っていました。

水堀や空堀の違いについては、堀とは?の記事で詳しく解説しています。

水堀に沿って建つ丸亀城大手門と背後の高石垣
水堀に沿って建つ丸亀城大手門。背後の石垣と天守まで見上げたい

石垣に囲まれた丸亀城大手一の門と大手二の門
丸亀城の正面を守る大手門。外側の門を抜けると枡形へ入る

大手一の門・二の門|丸亀城の正面を守る

丸亀城の大手門は、外側の大手二の門と、内側の大手一の門を組み合わせた構造です。

二つの門は1670年頃、京極氏時代に現在の大手口が整備された際に建てられました。

大手一の門・二の門と附属する塀は、国の重要文化財に指定されています。

大手二の門から枡形へ

外側に建つ大手二の門は、高麗門形式の門です。

門をくぐると、石垣や門に囲まれた枡形ますがたの空間へ入ります。

城内へ進むには、そのまま直進するのではなく、枡形の中で向きを変えなければなりません。

二の門と一の門の向きを見比べると、城の入口となる虎口こぐちで、侵入者をまっすぐ進ませない仕組みがわかります。

丸亀城の大手枡形は規模が大きく、重要文化財の解説でも、枡形が良好に残る点が評価されています。

虎口や枡形の基本構造については、虎口とは?の記事もあわせてご覧ください。

丸亀城の大手枡形と大手一の門と大手二の門
大手二の門を抜けた先の枡形。城内へ進むには方向を変える必要がある

大手一の門

大手一の門は、上部に櫓を載せた櫓門です。

丸亀市の公式資料では、ひとかかえほどある柱や梁に欅材が使われ、かつては太鼓を打って時刻を知らせたことから「太鼓門」とも呼ばれたと紹介されています。

内部には柱、梁、床板、窓、石落としなどが残り、門そのものが防御施設であったことを確認できます。

2026年7月17日確認時点では、大手一の門内部は午前9時から午後4時30分まで一般公開されており、観覧料は無料です。

公式案内では定休日なしとなっていますが、天候や行事によって臨時に変更される可能性があります。

丸亀城大手一の門内部の太い木造柱と梁
一般公開されている大手一の門内部。太い柱と梁が櫓門を支えている

正面から見た丸亀城の大手一の門の外観
正面から見た大手一の門の外観

塀の狭間と引き戸のような構造

大手門に附属する塀には、小さな開口部が設けられています。

城の塀に設けられた小さな開口部は、一般に弓や鉄砲で攻撃するための狭間さまとして使われました。

その狭間の開口部を内側から板の部材で蓋するのが一般的なのですが、丸亀城では珍しく、狭間の開口部を引き戸のように閉じる仕組みがありました

丸亀城の大手二の門のとなりに続く塀と狭間
大手二の門のとなりに続く塀と狭間

丸亀城大手門の塀に設けられた狭間と戸のような部材
狭間の開口部。横方向へ動かす戸のような部材も見られる

ここに注目

大手門では、門の正面だけでなく、一の門と二の門の向き、枡形の広さ、門内部の柱と梁、塀の開口部まで見てみましょう。

二つの門をどのように通過するのかを追うと、大手口が一枚の門だけで守られていたのではないことがわかります。

丸亀城の大手口は、高麗門と櫓門という異なる形式の門を、枡形と組み合わせている点にも注目です。

城門には高麗門・櫓門・薬医門などさまざまな形式があり、門そのものの構造だけでなく、虎口のどこに置かれているかによっても役割が変わります。

丸亀城では、このあと見られる玄関先御門が薬医門形式なので、同じ城内で異なる門形式を比較できます。

高麗門・櫓門・薬医門の違いと城門の見方を詳しく見る

鏡石と大手口の石垣

大手枡形の石垣には、周囲より大きな鏡石かがみいしが使われています。

丸亀市の公式資料では、大手枡形に2メートルを超える鏡石があり、城の重要な場所を飾る「魅せる石垣」として使われたと説明されています。

鏡石は、大きさだけを見るのではなく、門を通る人からどのように見える位置へ置かれているかにも注目してください。

周囲の石材と一緒に撮影すると、鏡石の大きさと存在感が伝わりやすくなります。

丸亀城大手枡形の石垣に配置された2メートルを超える鏡石
大手枡形に置かれた鏡石。左が女石で、右が男石

玄関先御門・番所|山麓に残る建造物

大手門の近くには、玄関先御門げんかんさきごもん番所ばんしょ、長屋が残っています。

玄関先御門は、かつて藩主の居館へ入る表門だった建物で、「御殿表門」とも呼ばれます。

江戸時代初期に建てられた薬医門形式の門で、丸亀市は城門として珍しい形式と紹介しています。

門の西側には、御殿へ出入りする人を確認する番所があります。

番所は門の外側から内部の様子を見通しにくくするよう配置され、詰所や長屋も附属しています。

長屋には駕籠が置かれていました。

玄関先御門、番所、長屋、附属する土塀は、香川県指定有形文化財です。

天守や大手門が城の象徴や防御を担った建物だとすれば、番所は城内へ出入りする人を確認し、日常的に管理するための建物です。

建物を建てる「作事」については、作事とは?の記事で詳しく解説しています。

丸亀城山麓に残る玄関先御門と番所
旧藩主居館の入口だった玄関先御門。門の西側には番所が残る

御殿へ出入りする人を確認した番所
御殿へ出入りする人を確認した番所

見返り坂|本丸への急坂を登る

大手口から三の丸へ向かう急坂が、見返り坂です。

見返り坂という名前について、傾斜が急で時々立ち止まって振り返りたくなることから、いつしかそう呼ばれるようになったそうです。

実際に登ると、写真で見る以上に勾配を感じます。

坂の隣には石垣が見え、登るにつれて大手口が低い位置へ遠ざかっていきます。

急坂を一気に登るよりも、途中で立ち止まり、石垣の高さや曲がり方を見ながら進むのがおすすめです。

夏は日差しと暑さが厳しくなるため、飲み物を用意し、歩きやすい靴で訪れてください。

丸亀城三の丸へ続く急な見返り坂を下から見上げた景色
大手口から三の丸へ続く見返り坂。写真以上に急な勾配を感じる

三の丸高石垣|丸亀城を代表する石垣

丸亀城の「日本一高い石垣」とは?

・一枚の石垣が約60メートルあるわけではない
・山麓から山頂まで重なる石垣の総高が約60メートル
・三の丸北側では20メートルを超える石垣が続く
・「扇の勾配」は主に隅角部の曲線を指す
・高さだけでなく、石垣の上にある曲輪との関係を見る

見返り坂を登っていくと、右手に丸亀城を代表する三の丸高石垣が現れます。

三の丸北側の石垣は、丸亀城内でも特に高く、20メートルを超える城壁が続きます。

隅角部には、長い石材を交互に組み合わせる算木積みさんぎづみが使われ、下部から上部へ向かって勾配が変化する曲線は「扇の勾配」と呼ばれています。

丸亀城の主要な石垣では、加工した石を積む「打ち込みハギ」が多く使われています。

一方、大手枡形には切り込みハギ、南東山麓には野面積みも見られ、場所によって異なる石垣を観察できます。

丸亀城の見返り坂から見上げる高石垣
見返り坂から見上げる高石垣

丸亀城の石垣は、高さだけでなく、石材の加工、石の並び、角部の組み方、下部から上部へ続く勾配にも注目したいところです。

石垣の表面全体の積み方と、角部に用いられる算木積みは、同じ分類ではありません。

それぞれを分けて見ると、丸亀城の石垣をより立体的に観察できます。

石垣の種類・算木積み・勾配の見方を詳しく見る

三の丸を歩く|高石垣の上に広がる曲輪

高石垣を見上げたあとに三の丸へ入ると、視界が開け、平坦な空間が広がります。

三の丸は、二の丸と本丸を鉢巻き状に取り囲む曲輪です。

下から見上げた高石垣の上に、これだけの広さを持つ曲輪があることが、丸亀城の面白さです。

石垣を単独の壁として見るのではなく、「この上にはどの曲輪があるのか」を意識すると、城の構造が理解しやすくなります。

現在の三の丸は広場や園路として整備されていますが、江戸時代の地面や建物配置がそのまま残っているわけではありません。

案内図と見比べながら、二の丸・本丸との位置関係を確認してください。

城内を区画する曲輪の役割については、曲輪とは?の記事で解説しています。

丸亀城三の丸に広がる平坦な曲輪と周囲の石垣
高石垣の上に広がる三の丸。二の丸と本丸を囲むように設けられている

二の丸の石垣と曲輪

三の丸から、さらに一段高い二の丸へ進みます。

二の丸では、三の丸を歩いているときよりも天守が近くなり、本丸を囲む石垣の存在感が強くなります。

二の丸南側の石垣には、もともと隅角部だった場所を拡張した跡があります。

丸亀市の公式資料では、かつて算木積みだった石材の先端を割り、その間へ石を詰めて拡張した部分を観察できると紹介されています。

ただし、写真だけで築造年代や改修箇所を判断するのは難しいため、現地案内板と照合しながら見る必要があります。

丸亀城二の丸を囲む石垣と本丸へ続く登城路
三の丸から二の丸へ進むと、天守へ向かって石垣がさらに重なる

二の丸井戸|日本一深い城の井戸?

二の丸には、二の丸井戸があります。

丸亀市の公式ページでは、「日本一深い井戸といわれる」と紹介され、水面は三の丸北石垣の中ほどにあり、水深は30メートル以上とされています。

香川県の公式観光資料では、古い絵図に深さ36間、約65メートルと記され、水深は約30メートルと説明されています。

二の丸井戸は、深さだけが見どころではありません

山の上にある二の丸で、どのように水を確保したのかを考えると、井戸が籠城時や日常生活を支えた重要な実用施設だったことがわかります。

井戸の内部は暗く、写真だけでは深さが伝わりにくいため、案内板に書かれた数値と一緒に紹介するのがおすすめです。

丸亀城二の丸に残る深い二の丸井戸
二の丸に残る井戸。山上で水を確保するための重要な施設だった

本丸へ到着|高石垣の頂上に広がる空間

二の丸から、さらに石垣と坂を越えると本丸へ到着します。

本丸は、亀山の最も高い場所に設けられた曲輪です。

現在は天守が一棟建つ広場のように見えますが、江戸時代には天守だけでなく、隅櫓、渡櫓、土塀が石垣の上を巡っていました。

現地では礎石や排水路の一部が復元されています。

大手門から見返り坂、三の丸、二の丸を経て本丸へ入ると、山麓から何層もの石垣を登ってきたことがわかります。

丸亀城本丸に広がる曲輪と現存天守
高石垣を登り切った本丸。天守だけでなく、周囲の空間にも注目したい

本丸から丸亀市街地と瀬戸内海を見渡す

本丸からは、丸亀市街地と瀬戸内海方面を見渡せます。

現在の市街地や道路は江戸時代の城下町と同じ姿ではありませんが、高い場所から周囲を見下ろすことで、亀山が城の場所として選ばれた理由を考えられます。

北側には丸亀市街地と瀬戸内海方面が広がり、場所や天候によっては港や島々も確認できます。

一方、三の丸南東にある月見櫓跡付近からは、讃岐富士と呼ばれる飯野山や土器川方面を見渡せます。

写真を掲載するときは、撮影した方向を地図と照合し、瀬戸内海、丸亀港、飯野山などを混同しないようにします。

丸亀城本丸から見た丸亀市街地と瀬戸内海方面の眺望
本丸から見渡す丸亀市街地と瀬戸内海方面。登ってきた高さを実感できる

讃岐富士と呼ばれる飯野山
讃岐富士と呼ばれる飯野山

丸亀城天守|現存12天守の一つ

丸亀城天守の特徴

・1660年に完成した現存天守
・全国に12城しか残らない木造天守の一つ
・三重三階・本瓦葺
・高さは約15メートル
・国の重要文化財
・総床面積を基準として、現存天守で最小と紹介される

江戸時代から残る現存天守

丸亀城天守は、1660年に完成した三重三階の木造天守です。

現在残る天守は、生駒氏が1597年に築城を始めた当時の建物ではありません。

山崎氏による再築後、京極高和の入封を経て完成した天守です。

文化財資料では「江戸前期、1643〜1660年、三重三階櫓、本瓦葺」と記載され、国の重要文化財に指定されています。

丸亀城天守は、四国に残る現存木造天守のなかで最も古いと丸亀市が紹介しています。

現存天守の中でも小規模な天守

丸亀城天守の高さは約15メートルです。

丸亀市の観光資料では、総床面積を比較基準として「日本一小さな天守」と紹介されています。

しかし、小規模だから見応えがないわけではありません。

山麓から見ると、何層もの高石垣の頂上に建っているため、天守単体の高さ以上に大きな存在感があります。

反対に本丸へ到着し、間近から見ると、三重の屋根や窓、破風などを細かく観察できます。

大手門前から見上げる天守と、本丸で見上げる天守の印象の違いも、丸亀城の見どころです。

本丸石垣の上に建つ丸亀城天守を斜めから見た外観
本丸石垣の上に建つ丸亀城天守。山麓から見る印象とは大きく異なる

天守外観の見どころ

丸亀城天守の外観では、三重に重なる屋根、白漆喰の外壁、唐破風、千鳥破風に注目してください。

北側には石落としと素木の格子が設けられています。

見る方向によって屋根や破風の重なり方が変わるため、正面だけでなく、側面や斜め方向からも見てみましょう。

小さな窓や開口部をすべて狭間と判断せず、石落とし、窓、格子の位置を分けて確認することが大切です。

丸亀城天守の白漆喰・唐破風・千鳥破風・格子の外観
唐破風や千鳥破風を配した丸亀城天守。北側には石落としと格子も見られる

天守内部では柱・梁・階段を見る

丸亀城天守の内部では、展示物だけでなく、建物そのものに注目してください。

現存天守では、柱、梁、床板、窓、急な階段など、木造建築の構造を間近で見られます。

上階へ進むほど床面積が小さくなり、階段も急になります。

香川県の公式観光資料でも、天守内部の石落としや、幅が狭く急勾配の階段が見どころとして紹介されています。

石垣復旧PR館|丸亀城の石垣を守る取り組み

丸亀城では、2018年7月から10月にかけての豪雨や台風の影響により、城の南西部にある帯曲輪石垣と三の丸石垣が崩落しました。

現在も石垣の復旧整備事業が続けられています。

石垣復旧PR館では、崩落時の状況、復旧工事の流れ、石工が使う道具、出土品などを見学できます。

屋上は展望デッキとなっており、復旧工事の現場を見渡せます。

開館時間は午前9時から午後4時30分で、公式案内では年中無休です。

復旧工事では、崩落した石材を調査・記録し、できる限り元の位置へ戻しながら積み直す作業が行われています。

丸亀城の石垣復旧事業を紹介する石垣復旧PR館の外観
石垣復旧PR館では、2018年に崩落した石垣の調査と復旧工程を学べる

石垣を積み、土地を造成する工事については、普請とは?の記事もあわせてご覧ください。

丸亀市立資料館と延寿閣別館

丸亀市立資料館

丸亀市立資料館は、丸亀城西麓にある施設です。

2階の常設展示では、丸亀城と城下町の変遷、生駒氏・山崎氏・京極氏に関係する資料を中心に、丸亀の近世史を紹介しています。

ただし、展示替えによって常設展示室が閉室する場合があるため、訪問前に開催中の展示を確認してください。

開館時間は午前9時30分から午後4時30分です。

休館日は原則として月曜日、祝日、年末年始です。

丸亀城西麓にある丸亀市立資料館の外観
生駒氏・山崎氏・京極氏と丸亀城下町の歴史を紹介する丸亀市立資料館

延寿閣別館

三の丸にある延寿閣別館は、江戸時代の丸亀城御殿がそのまま残った建物ではありません。

東京都麻布にあった京極家の建物の一部と建具が寄附され、1933年に三の丸へ移築されたものです。

数寄屋風の建築や屋久杉の一枚板を使った天井が特徴で、2024年7月からは城泊にも利用されています。

玄関先御門や番所が江戸時代の城内建造物であるのに対し、延寿閣別館は近代に京極家から移築された建物です。

丸亀城の施設情報・アクセス・所要時間・日本100名城スタンプ

以下は、執筆時の情報です。

丸亀城は天候や石垣復旧工事によって、一時的に園路や施設の公開状況が変わる可能性があります。

訪問直前には丸亀城公式サイトで最新のお知らせを確認してください。

項目 内容
所在地 香川県丸亀市一番丁
最寄り駅 JR丸亀駅
JR丸亀駅から 南口から徒歩約15分
城内開放時間 24時間
天守観覧時間 9:00〜16:30・最終入場16:00
天守休館日 定休日なし・臨時休館あり
天守観覧料 大人400円・中学生以下無料
大手一の門内部 9:00〜16:30・無料
日本100名城スタンプ 天守内・丸亀市立資料館
石垣復旧PR館 9:00〜16:30・年中無休
丸亀市立資料館 9:30〜16:30・原則月曜、祝日、年末年始など休館
駐車場 資料館横に無料約50台、市民ひろばに無料約20台
市営有料駐車場 指定駐車場は施設で認証すると2時間無料
大手門から天守 片道徒歩約20分

天守、大手一の門、資料館、石垣復旧PR館は、それぞれ開館時間や休館条件が異なります。

日本100名城スタンプは天守内と丸亀市立資料館にありました。

電車でのアクセス

JR丸亀駅南口から大手門までは、徒歩約15分です。

駅から城山と天守が見えるため、方向も把握しやすく、初めて訪れる場合は徒歩がわかりやすい移動方法です。

路線バスでのアクセス

丸亀市内ではコミュニティバスが運行されています。

ただし、路線や時刻表は改定されるため、訪問日に合わせて丸亀市の最新時刻表やバス位置情報を確認してください。

駅から城までは徒歩約15分のため、荷物や体力に問題がなければ徒歩の方が利用しやすい場合があります。

車でのアクセス

車の場合は、資料館横の無料駐車場と、市民ひろばの無料駐車場を利用できます。

満車の場合は、大手町第一駐車場、大手町西駐車場、駅前地下駐車場などの市営有料駐車場も候補です。

対象施設で駐車券を認証すると2時間無料になりますが、認証できる時間は天守・資料館・観光案内所の開館時間に左右されます。

丸亀城を見るときのチェックリスト

丸亀城を訪れたら、次の項目を確認してみてください。

  • 大手門から高石垣と天守を一緒に見られるか
  • 水堀と大手門はどのように配置されているか
  • 大手二の門から一の門へ進むとき、どこで方向が変わるか
  • 大手一の門内部の柱と梁はどのくらい太いか
  • 塀の開口部と戸のような部材はどの方向へ動くか
  • 鏡石は周囲の石材と比べてどのくらい大きいか
  • 玄関先御門と番所はどのように配置されているか
  • 見返り坂を登り、振り返ると大手口がどの高さに見えるか
  • 三の丸高石垣は下部と上部で勾配が変化しているか
  • 隅角部の算木積みはどのように石材を組み合わせているか
  • 三の丸・二の丸・本丸にはどのくらい高低差があるか
  • 二の丸井戸の深さは現地でどのように説明されているか
  • 本丸から瀬戸内海はどの方向に見えるか
  • 天守は本丸のどこに建っているか
  • 天守は外観何重、内部何階か
  • 天守内部の柱、梁、床板、階段はどのような構造か
  • 石垣復旧工事は城内のどこで行われているか
  • 石垣復旧PR館ではどのような復旧工程を紹介しているか

🏯 現地で見るポイント

丸亀城では、天守だけを目指さず、大手門から本丸まで石垣を順番に見ながら登ってください。

山麓から三の丸、二の丸、本丸へ進むにつれて、何層もの石垣と曲輪が重なっていることがわかります。

本丸へ着いたら、天守を間近で見るだけでなく、大手門や城下町の方向を見下ろしてみましょう。

自分が登ってきた高さを振り返ることで、丸亀城が「石垣の名城」と呼ばれる理由を体感できます。

まとめ|丸亀城では石垣を見ながら天守を目指そう

丸亀城の最大の見どころは、山麓から本丸まで何層にも重なる石垣です。

石垣の総高は約60メートルあり、この総高を基準として「日本一高い石垣」と紹介されています。

大手門前からは、水堀、大手門、高石垣、山頂の天守が一度に見えます。

大手二の門を抜けると大きな枡形があり、その先に重要文化財の大手一の門が建っています。

門内部では、太い柱と梁、床板、石落としなど、櫓門の木造構造を見学できます。

山麓には玄関先御門と番所も残り、かつての藩主居館への入口と、城内を管理した建物を確認できます。

見返り坂を登ると、20メートルを超える三の丸高石垣が現れます。

三の丸、二の丸、本丸へ進むにつれて石垣と曲輪が重なり、山上には1660年に完成した現存天守が残っています。

二の丸井戸では、深さだけでなく、山上で水を確保する実用施設としての役割も考えてみてください。

石垣復旧PR館へ立ち寄ると、現在見ている石垣が、調査・記録・復旧作業によって未来へ残されていることもわかります。

丸亀城は、天守だけを見て終わる城ではありません。

大手門から本丸までの登城体験を通して見ることで、石垣、曲輪、門、天守が一体となった丸亀城の魅力を感じられます。

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