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【日本100名城 No.77】高松城は何がすごい?現地で感じた魅力・歴史・見どころを紹介

月見櫓・水手御門と海水堀を背景にした高松城の見どころを紹介する記事のアイキャッチ

高松城には、現在天守が残っていません。

そのため、初めて訪れる方のなかには、「天守がないなら、見るところは少ないのでは?」と思う方もいるかもしれません。

しかし、実際の高松城には、海水を引き込んだ堀、2基の現存三重櫓、船で出入りした水手御門、水堀に囲まれた本丸と天守台など、ここでしか見られないものが数多く残っています。

高松城のすごさは、主に次の3点です。

高松城は何がすごい?
  • 瀬戸内海の海水を堀へ取り込んだ、日本を代表する海城
  • 月見櫓と艮櫓という2基の現存三重櫓が残る
  • 旭門から天守台、水手御門まで、陸と海を意識した縄張を歩いてたどれる

旭橋・旭門から城内へ入ると、まず目に入るのは、敵をまっすぐ進ませない陸側の守りです。

そこから鞘橋を渡って本丸へ入り、最後に月見櫓・水手御門へ向かうと、船による出入りを意識した海側の構造へと景色が変わります。

この記事では、現地で撮影した写真を登城ルートに沿って配置しながら、高松城の歴史、見どころ、歩き方、所要時間、施設情報を紹介します。

高松城とは?

高松城の基本
  • 1588年に生駒親正が築城を開始した近世城郭
  • 生駒氏のあと、高松松平家の居城となった
  • 瀬戸内海に面し、堀へ海水を取り入れていた
  • 現在は史跡高松城跡・玉藻公園として公開されている
  • 日本100名城のNo.77に選ばれている

高松城たかまつじょうは、現在の香川県高松市に築かれた平城です。

築城当時は城の北側が瀬戸内海に接しており、海水を外堀・中堀・内堀へ引き込んでいました。

平地に築かれた平城の一つであると同時に、海や海水を防御や移動に取り込んだ代表的な海城でもあります。

高松城の築城が始まったのは1588年です。

豊臣秀吉から讃岐国を与えられた生駒親正いこまちかまさが築城を始め、以後、生駒氏4代の居城となりました。

1640年に生駒氏が出羽国矢島へ移されたあと、1642年に水戸徳川家出身の松平頼重まつだいらよりしげが高松へ入ります。

その後、高松松平家によって天守の再建や北之丸・東之丸の整備が進められ、現在につながる城郭の姿が形づくられました。

高松城は「玉藻たまも城」とも呼ばれます。

「玉藻」という名は、讃岐国にかかる枕詞「玉藻よし」に由来すると高松市の資料で紹介されています。

項目 内容
城名 高松城
別名 玉藻城
所在地 香川県高松市玉藻町
城の種類 平城・海城
築城開始 1588年
主な築城者 生駒親正
主な城主 生駒氏・高松松平家
日本100名城 No.77
現在 史跡高松城跡・玉藻公園
主な見どころ 海水堀・月見櫓・水手御門・艮櫓・鞘橋・天守台

築城時の縄張を誰が設計したかについては、黒田孝高、藤堂高虎、細川忠興など複数の説があります。

本丸や二之丸、三之丸、北之丸が描かれた高松城跡の案内図

最初に案内図を確認しておくと、旭門から天守台、月見櫓へ進む流れがわかりやすくなります。

高松シンボルタワーから見た高松城跡と高松港

高所から見ると、高松城の曲輪と堀が、現在の高松港や市街地に近いことがわかります。

高松城は何がすごい?

高松城では、建物を一つずつ見るだけでなく、海水堀・曲輪・門・櫓の位置関係を見ることが大切です。

高松城の特徴 現地で確認したい場所
海水を利用した海城 海水堀・水手御門・月見櫓
2基の現存三重櫓 月見櫓・艮櫓
陸側と海側の入口 旭門・水手御門
失われた天守の規模 鞘橋・本丸・天守台

瀬戸内海の海水を堀へ取り込んだ海城

高松城は、築城当時の北側が瀬戸内海に接していました。

城の周囲には外堀・中堀・内堀が設けられ、そのすべてに海水を引き込んでいたとされています。

現在は埋め立てによって築城当時とは海岸線が異なりますが、内堀と中堀の一部が残り、今も水門を通じて海水が取り込まれています。

海は、城を守るための障害物であるだけではありません。

水手御門から小舟へ乗り、沖に停泊した船へ向かう動線も設けられていました。

高松城では、海を「堀」として利用するだけでなく、城へ出入りするための「道」としても使っていたのです。

こうした仕組みは、海や海水を城の縄張へ取り込んだ海城の特徴を、現地で理解できる実例です。

月見櫓と艮櫓という2基の現存三重櫓

高松城には、月見櫓つきみやぐら艮櫓うしとらやぐらという2基の三重櫓が残っています。

月見櫓は1676年、艮櫓は1677年に建てられた三重三階の櫓で、どちらも国の重要文化財です。

江戸時代以前に建てられた現存する三重櫓は、全国で12基あり、そのうち2基が高松城にあります。

高松城の月見櫓
高松城の月見櫓

高松城の艮櫓
高松城の艮櫓

陸側と海側の入口を歩いて比べられる

高松城の東側にある旭橋・旭門は、城内へ入る大手口です。

旭門の周辺には、大手枡形があり、城内を見通しにくくしながら、侵入した敵の進路を曲げる構造が見られます。

高松城の旭橋と旭門
高松城の旭橋と旭門

一方、北之丸に残る水手御門は、船を使って海側から出入りするための門でした。

同じ城の中で、敵の侵入を防ぐ陸側の入口と、船で出入りする海側の入口を比べられることが、高松城の面白さです。

城全体の配置を考える縄張を、実際に歩きながら理解できます。

高松城の水手御門
高松城の水手御門

天守はなくても天守台から規模を想像できる

高松城の天守は現在残っていませんが、本丸には大きな天守台が残っています。

松平頼重が再建した天守は、1670年に完成しました。

三重四階、地下一階を備え、最上階が下の階より張り出す「唐造」または「南蛮造」と呼ばれる外観だったと考えられています。

高さは約26メートルと推定されますが、老朽化のため1884年に解体されました。

現在は天守台へ上ることができ、鞘橋や水堀、周囲の曲輪を見渡せます。

高松城の天守台

建物が失われているからこそ、天守台と本丸の位置関係を見ながら、かつての天守を想像する楽しみがあります。

天守とは?の記事を読んでから訪れると、天守台を見る意味もわかりやすくなります。

高松城の歴史

高松城の歴史は、生駒氏による築城と、高松松平家による大改修の二つに分けると理解しやすくなります。

高松城のできごと
1587年 生駒親正が讃岐国を与えられる
1588年 生駒親正が高松城の築城を開始
1640年 生駒氏が出羽国矢島へ移される
1642年 松平頼重が高松へ入る
1670年 松平氏時代の天守が完成
1671年 北之丸・東之丸の整備が進められる
1676年 月見櫓・渡櫓が建てられる
1677年 艮櫓が建てられる
1868年 高松城が戦闘を行わず開城する
1884年 老朽化した天守が解体される
1917年 現在の披雲閣が完成する
1945年 高松空襲によって桜御門が焼失する
1955年 国の史跡に指定され、玉藻公園として開園
1967年 艮櫓が東之丸から現在地へ移築される
2022年 復元された桜御門が完成する

生駒氏の時代に築かれた高松城は、松平頼重の入封後に大きく改修されました。

天守が再建されたほか、北之丸と東之丸が新たに整備され、月見櫓や艮櫓などが建てられます。

明治時代になると、堀の埋め立てや海岸部の埋め立てが進み、多くの建造物が失われました。

それでも、月見櫓・艮櫓・水手御門・渡櫓などが残され、現在は史跡高松城跡・玉藻公園として保存整備されています。

桜御門は1945年の高松空襲で焼失しましたが、発掘調査や古写真などの資料をもとに復元工事が行われ、2022年に完成しました。

高松城のおすすめ登城ルート

今回の記事では、東側の旭橋・旭門から入り、陸側の守りを見てから、本丸、北之丸、海側の水手御門へ進みます。

順番 スポット 主な見どころ
1 旭橋・旭門 陸側から城へ入る大手口
2 一文字土居 門の先を見通しにくくする仕組み
3 大手枡形・鏡石 敵の進路を曲げる空間と石垣
4 桜馬場・艮櫓 広い曲輪と現存三重櫓
5 桜御門 2022年に復元された三之丸の門
6 披雲閣・陳列館 高松城の歴史を学ぶ場所
7 鞘橋 二之丸から本丸へ渡る橋
8 本丸・天守台 失われた天守の規模を想像する場所
9 北之丸 海側を守る曲輪
10 月見櫓・水手御門 高松城を象徴する海側の建造物
11 海水堀 海とのつながりとクロダイ
12 香川県立ミュージアム 讃岐の歴史を補足する周辺施設

園内の主要な見どころだけなら、目安は45分から1時間ほどです。

写真を撮りながら石垣や櫓を詳しく見る場合は、1時間30分から2時間ほど確保しておくと安心です。

香川県立ミュージアムもあわせて見学する場合は、全体で2時間30分から3時間30分ほどを見ておくと、余裕を持って回れます。

玉藻公園のボランティアガイドも、園内を約1時間で案内しています。

旭橋・旭門から高松城へ入る

高松城の東側から入る場合は、水堀に架かる旭橋を渡り、旭門へ向かいます。

現在は玉藻公園東門として利用されていますが、江戸時代には高松城の大手口となっていた場所です。

松平氏による城郭改修以前の大手門は、現在の桜馬場南側にありました。

三之丸に御殿が整備されたことにともない、大手口が東側へ移され、旭橋と旭門が設けられました。

高松城の水堀に架かる旭橋と旭門

旭橋は、門に対してまっすぐではなく、斜めに架けられています。

このような橋は「筋違橋」と呼ばれ、門へ直線的に接近しにくくするほか、横方向から攻撃しやすくする狙いがありました。

現在の旭橋は石橋ですが、江戸時代には木橋が架けられていました。

大手枡形

旭門の内側には、石垣や一文字土居に囲まれた大手枡形があります。

枡形ますがたは、門を通った敵を狭い空間へ誘導し、進む方向を変えさせる虎口の一種です。

虎口とは?で解説している「敵をまっすぐ進ませない工夫」が、実際の空間として残っています。

旭門の内側に設けられた高松城の大手枡形

向きを見比べると、城内へ進むために方向を変える必要があることがわかります。

大手枡形の石垣では、周囲より大きな石材にも注目してください。

城門の周辺に配置された大きな石は、一般に鏡石と呼ばれます。

大きさだけでなく、入口へ入る人からどのように見える位置に置かれているかを見るのがポイントです。

高松城大手枡形の石垣に配置された鏡石

周囲の石材と比べることで、大手口に置かれた鏡石の存在感がわかります。

ここに注目

旭門を通ったら、門だけでなく正面・左右・足元を見てみましょう。一文字土居によって視線が遮られ、枡形の中で進路を変える必要があることがわかります。

桜馬場・艮櫓・桜御門

桜馬場

大手枡形を抜けると、広い桜馬場へ出ます。

旭門周辺の狭く折れ曲がった空間から、急に視界が開けるため、城内の景色が大きく変わる場所です。

現在は公園として広々としていますが、周囲には艮櫓、桜御門、旭門があり、天守台も見えます。

艮櫓と桜御門を見渡せる高松城の桜馬場

艮櫓

桜馬場の一角には、高松城に残る現存三重櫓の一つ、艮櫓が建っています。

「艮」は北東の方角を意味します。

艮櫓は1677年、高松城東之丸の北東隅に建てられました。三重三階の櫓で、国の重要文化財に指定されています。

艮櫓と桜御門を見渡せる高松城の桜馬場

三重に重なる屋根と水堀、石垣を一緒に見ると、隅櫓としての存在感が伝わります。

ただし、艮櫓は現在地に当初から建っていたわけではありません。

もともとは、東之丸の北東隅にありました。

1967年に、桜馬場にあった太鼓櫓跡の櫓台へ移築されています。

現在の位置だけを見て、高松城本来の縄張を判断しないように注意が必要です。

案内図を見ながら、元の東之丸と現在地の距離を確認すると、移築された建造物であることを実感できます。

桜御門

桜馬場から三之丸へ向かう場所に建つのが桜御門です。

桜御門は、高松松平家の御殿が置かれた三之丸の入口を守る門でした。

江戸時代の門は1945年の高松空襲で焼失しているため、現在見られる桜御門は現存建造物ではありません。

発掘調査、古写真、史料などをもとに復元され、2022年に完成した建造物です。

高松城三之丸の入口に復元された桜御門

桜御門の外観は玉藻公園の開園中に見学できます。

内部は、原則として土曜日・日曜日・祝日の午前9時から午後4時まで公開されています。

変更される可能性があるため、内部を見たい場合は訪問前に最新情報を確認してください。

一文字土居

桜御門を通った先には、一文字土居いちもんじどいと呼ばれるものがあります。

現地では蔀土居しとみどいとも案内されており、門の外から城内を直接見通しにくくする役割がありました。

高松城の入口で城内への視線を遮る一文字土居

桜御門と一緒に見ることで、「門を突破しても、そのまま城内へ進めない」という配置の意味がわかります。

披雲閣と陳列館|高松城の歴史を学ぶ

披雲閣

桜御門を通って三之丸へ入ると、大きな和風建築の披雲閣があります。

江戸時代の三之丸にも高松松平家の御殿がありましたが、現在の披雲閣は、その御殿がそのまま残った建物ではありません。

現在の披雲閣は、1917年に旧松平家高松別邸として完成した近代和風建築です。

現在は国の重要文化財に指定され、貸館や催事などにも利用されています。

高松城三之丸に建つ旧松平家高松別邸・披雲閣

披雲閣は江戸時代の御殿そのものではなく、1917年に建てられた旧松平家の別邸です。

陳列館

披雲閣の近くには、高松城の歴史を紹介する陳列館があります。

展示内容は変更される可能性がありますが、高松城の古写真、城郭模型、発掘資料などを確認してから天守台へ向かうと、現在は失われた建造物を想像しやすくなります。

高松城の歴史資料を展示する玉藻公園の陳列館

天守台へ向かう前に、かつての天守や城郭の姿を確認しておくと理解が深まります。

展示写真を掲載する場合は、訪問時の撮影可否と、展示物ごとの利用条件を確認してください。

鞘橋を渡って本丸へ

二之丸と本丸をつないでいるのが、鞘橋さやばしです。

高松城の本丸は周囲を水堀に囲まれ、二之丸から鞘橋を渡って入る構造になっています。

本丸が独立した曲輪であり、限られた経路からしか入りにくかったことがわかります。

水堀に囲まれた本丸へ渡る高松城の鞘橋

左右の水堀まで入れて撮影すると、本丸が周囲から切り離されていることが伝わります。

鞘橋は屋根の付いた橋として印象に残りますが、築城当初から現在と同じ姿だったわけではありません。

古い時期には屋根のない欄干橋で、江戸時代中頃以降に屋根が付けられたと考えられています。

現在の橋を江戸時代からそのまま残る建造物として見るのではなく、本丸へ渡る経路と、橋の姿が変化してきた歴史をあわせて見ることが大切です。

🏯 現地で見るポイント

鞘橋では、橋だけを撮影するのではなく、左右の水堀と本丸の石垣も確認してください。

本丸が堀によって独立し、限られた経路からしか出入りできない構造になっていることがわかります。

堀とは?で解説している防御施設としての役割を、曲輪との位置関係から見られる場所です。

天守台|失われた高松城天守を想像する

鞘橋を渡ると、本丸の大部分を占める大きな天守台が見えてきます。

高松城の天守は現存しておらず、現在見られるのは天守を支えていた石垣と天守台です。

水堀越しに見た高松城本丸の天守台

天守は残っていませんが、大きな天守台と周囲の水堀から本丸の中心性を感じられます。

松平頼重が再建した天守は1670年に完成しました。

三重四階、地下一階を備え、最上階が下の階より張り出す特徴的な外観だったと考えられています。

しかし、老朽化によって1884年に解体され、現在まで建物は復元されていません。

高松城天守台へ上がる石段と入口

天守台では、石垣の積み方や角の処理を見るだけでなく、本丸の広さ、鞘橋、二之丸、周囲の水堀との位置関係も確認してください。

天守台の上から見ることで、天守が城のどこに置かれていたかがわかります。

月見櫓・水手御門|高松城を象徴する海側の入口

高松城を訪れたら、最後に時間をかけて見たいのが北之丸の月見櫓・水手御門・渡櫓です。

ここでは、陸側の旭門とは異なる、海から城へ出入りするための構造を確認できます。

月見櫓

月見櫓は、1676年に北之丸西端に建てられた三重三階の櫓です。

白漆喰の壁と三重に重なる屋根を持ち、高松城に残る国の重要文化財の一つです。

高松城北之丸の月見櫓

月見櫓は、水面・石垣・櫓を一緒に見ることで、海側を守る建造物だったことが伝わります。

「月見櫓」という名前から、月を眺めるための櫓だと思われがちです。

しかし、高松城の公式資料では、もともと「着見櫓」と書き、海から到着する船を確認する意味があったと紹介されています。

月を眺めるだけの建物ではなく、海からの出入りを監視する役割と関係する櫓だったのです。

三重に重なる屋根だけでなく、窓や壁面、石落としなどの細部にも注目したい櫓です。

月見櫓を見るときは、「三重三階」という建物の構造だけでなく、なぜこの位置に櫓が置かれ、どの方向を監視していたのかにも注目してみてください。

櫓には月見櫓のほかにも、隅櫓・多聞櫓・渡櫓・太鼓櫓など多くの名前がありますが、形、位置、役割、方角など、名前が付く理由はそれぞれ異なります。

櫓の役割・種類・名前の違いを詳しく見る

水手御門

月見櫓の隣にある水手御門みずてごもんは、高松城の海側の入口です。

城主は水手御門から小舟に乗り、沖に停泊していた船へ向かったとされています。

参勤交代の際にも、海上交通を利用して城を出発する動線として使われました。

高松城北之丸に残る月見櫓と水手御門

水手御門の先にかつて海が広がり、船へ乗り換えていた様子を想像してみてください。

現在は埋め立てや港湾整備によって、門のすぐ外が築城当時と同じ海岸線になっているわけではありません。

現在の景観だけを見て「海から離れている」と判断せず、古地図や案内図とあわせて見る必要があります。

海水堀とクロダイ|今も感じられる海城の特徴

高松城には、かつて外堀・中堀・内堀の三重の堀があり、すべてに海水が取り入れられていました。

現在残っているのは内堀と中堀の一部ですが、今も水門を通じて海水が流れ込み、堀には海の生き物が暮らしています。

堀をのぞくと、クロダイなどの海水魚が見られることがあります。

高松城の海水堀を泳ぐクロダイ

堀を泳ぐクロダイからも、現在の高松城が海とつながっていることを感じられます。

月見櫓、水手御門、海水堀を別々の見どころとして見るのではなく、海と城をつなぐ一つの構造として見ると、高松城の特徴がよりわかりやすくなります。

香川県立ミュージアムもあわせて訪れたい

玉藻公園の旭門を出て旭橋を渡った先には、香川県立ミュージアムがあります。

高松城跡の東側に建つ香川県立ミュージアムの外観

玉藻公園東門から近く、高松城を見たあとに讃岐の歴史を補足できます。

館内では、香川県の原始・古代から近現代までを紹介する常設展「かがわ今昔」などが公開されています。

ただし、常に高松城だけを扱った展示が行われているわけではありません。

企画展や展示替えによって内容が変わるため、高松城に関する資料を目的に訪れる場合は、事前に展示内容を確認してください。

項目 香川県立ミュージアム
開館時間 9:00〜17:00
入館受付 16:30まで
休館日 原則月曜日。月曜日が祝日の場合は原則翌火曜日
常設展観覧料 一般500円
高校生以下 無料
玉藻公園から 東門・旭橋から約70メートル

高松城の施設情報・アクセス・所要時間

玉藻公園の基本情報

項目 内容
所在地 香川県高松市玉藻町2番1号
入園料 大人300円、18歳未満無料
休園日 12月29日〜12月31日
最寄り駅 ことでん高松築港駅から徒歩約2分
JR JR高松駅から徒歩約5分
駐車場 57台・玉藻公園利用者は無料
車いす 東門・西門・管理事務所で貸出あり
コインロッカー 西門券売所裏にあり
ボランティアガイド 原則土曜・日曜、約1時間、無料

玉藻公園の開園時間

西門と東門では開門時間が異なります。

西門

開園時間
4月〜5月 5:30〜18:30
6月〜8月 5:30〜19:00
9月 5:30〜18:30
10月 6:00〜17:30
11月 6:30〜17:00
12月〜1月 7:00〜17:00
2月 7:00〜17:30
3月 6:30〜18:00

東門

期間 開園時間
4月〜9月 7:00〜18:00
10月〜3月 8:30〜17:00

日本100名城スタンプ・御城印・建造物内部公開

高松城は日本100名城のNo.77です。

日本100名城スタンプは東門の入園受付にありました。

所要時間の目安

見学方法 所要時間の目安
主要スポットをひと通り見る 45分〜1時間
写真を撮りながら詳しく見る 1時間30分〜2時間
香川県立ミュージアムも見る 2時間30分〜3時間30分

高松城はJR高松駅やことでん高松築港駅から近く、鉄道を使った城旅でも立ち寄りやすい城です。

高松港にも近いため、瀬戸内海の島々やほかの地域へ移動する旅程にも組み込みやすくなっています。

まとめ|高松城では陸と海の両方を歩いて見よう

高松城は、瀬戸内海の海水を堀へ取り込んだ、日本を代表する海城です。

今治城・中津城とともに「日本三大水城」の一つです。

高松城の大きな魅力は、次の3点にまとめられます。

  1. 海水を堀へ取り込み、水手御門から船で出入りした海城である
  2. 月見櫓と艮櫓という2基の現存三重櫓が残っている
  3. 旭門から天守台、水手御門まで、陸と海を意識した縄張を歩いてたどれる

旭橋・旭門から城内へ入ると、大手枡形による守りを確認できます。

桜馬場では、東之丸から移築された艮櫓と、2022年に復元された桜御門を見比べられます。

鞘橋を渡った先には、水堀に囲まれた本丸と大きな天守台が残り、失われた高松城天守の規模を想像できます。

さらに北之丸へ進むと、月見櫓、水手御門、渡櫓が一体となった、海城を象徴する景観へたどり着きます。

天守が残っていないから見どころが少ないのではなく、海水堀、櫓、門、橋、曲輪、天守台がどのようにつながっているかを歩いて理解できることが、高松城の魅力です。

訪れた際は、建造物を一つずつ撮影するだけでなく、陸側の旭門と海側の水手御門を比べながら歩いてみてください。

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