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【日本100名城 No.24】武田氏館(躑躅ヶ崎館)は何がすごい?現地で感じた魅力・歴史・見どころを紹介

武田氏館(躑躅ヶ崎館つつじがさきやかた)を歩く|武田信玄が本拠とした戦国最強武田家の居館

武田氏館

武田氏館は、現在の武田神社周辺に広がる甲斐武田氏の本拠地です。

武田氏館(躑躅ヶ崎館)は、山梨県甲府市にある甲斐武田氏の本拠地です。

現在は武田神社として親しまれていますが、もともとは武田信玄の父・武田信虎たけだ のぶとらが築いた館で、信虎・信玄・勝頼の武田氏三代が居住し、政治を行った場所でした。

そのため、武田氏館の歴史をたどると、武田晴信、のちの武田信玄が武田家の当主として歩んだ時代の流れも見えてきます。

「晴信」と「信玄」の違いや、武田信玄の本名については、こちらの記事で詳しく整理しています。

武田信玄の本名は?幼名・諱・法名までわかりやすく解説

ここがポイント

武田氏館は「武田神社」として有名ですが、もともとは武田氏三代の政治中枢だった城館跡です。 神社としての雰囲気だけでなく、周囲に残る堀や土塁にも注目すると、城跡としての魅力が見えてきます。

今回は実際に武田氏館を歩いてきたので、現地写真を交えながら、見どころ・登城ルート・所要時間・アクセス・日本100名城スタンプ情報を紹介します。

「武田氏館って何がすごいの?」 「武田神社と城跡はどう違うの?」 「どこを見ればお城らしさを楽しめる?」

という方の参考になればうれしいです。

この記事では、主に以下の内容を紹介します。

  • 武田氏館の歴史と特徴
  • 現地で見ておきたい見どころ
  • 実際に歩いた登城ルート
  • 所要時間・アクセス・駐車場情報
  • 日本100名城スタンプ情報
  • 周辺であわせて行きたいスポット

武田氏館は何がすごい?

まず最初に、武田氏館の魅力をざっくり紹介します。

武田氏館のすごいところは、主に次の5つです。

  • 武田信虎・信玄・勝頼の三代が本拠とした場所
  • 戦国大名・武田氏の政治中枢だったこと
  • 「館」でありながら、堀・土塁・虎口・馬出などの城郭遺構が残ること
  • 現在は武田神社として整備され、歴史に詳しくなくても歩きやすいこと
  • 信玄ミュージアムとあわせて見ることで、武田家の歴史を深く学べること

なかでも印象的だったのは、武田神社の周囲に残る堀や土塁です。

「館」と聞くと、なんとなく屋敷のような場所を想像してしまいますが、実際に歩いてみると、防御施設を備えた戦国大名の本拠地だったことがよくわかります。

天守や高石垣がそびえる城とは違いますが、堀に囲まれた空間を歩いていると、ここが甲斐武田氏の中心だったのだと感じました。

武田氏館の見方

武田氏館は、天守や石垣の迫力を楽しむ城というより、 「武田信玄たちがどこで暮らし、どこで政治を行っていたのか」を想像しながら歩く城跡です。

武田氏館はどんなお城?

武田信玄

武田信玄は、武田氏館を本拠として甲斐武田氏を大きく発展させました。

武田氏館は、永正16年(1519)に武田信虎によって築かれたとされるお城です。

城のタイプとしては、平城、または戦国大名の居館に分類されます。

館が築かれた場所は、甲府盆地北部の相川扇状地あいかわせんじょうちです。三方を山に囲まれ、西には相川、東には藤川が流れる立地で、平時の政治拠点でありながら、周囲の地形を活かした守りも意識されていました。

武田氏館は、武田信虎が甲斐国を統治するために築いた本拠地です。その後、信玄、勝頼へと受け継がれ、武田氏三代の政治の中心となりました。

勝頼の時代には新府城へ移転したため、武田氏館は一度役割を終えます。しかし武田氏滅亡後も、甲斐国統治の拠点として再利用されました。

現在は武田神社として整備され、周囲には堀や土塁、虎口こぐち馬出うまだしなどの遺構が残っています。

城好き注目ポイント

「館」という名前ですが、武田氏館には堀・土塁・虎口・馬出など、城郭としての見どころがしっかり残っています。 神社参拝だけでなく、周囲をぐるっと歩いて遺構を見るのがおすすめです。

武田氏館の基本的な特徴

項目 内容
城名 武田氏館(躑躅ヶ崎館)
所在地 山梨県甲府市古府中町
築城時期 永正16年(1519)
主な城主 武田信虎、武田信玄、武田勝頼
城の種類 平城・戦国大名居館
主な遺構 堀、土塁、曲輪、枡形虎口ますがたこぐち、馬出、石積み、天守台など
復元 復元建造物は少ないが、史跡公園・発掘展示・案内板などが整備されている
所要時間 武田氏館跡のみなら約60分、信玄ミュージアム込みなら約90〜120分
公式サイト 甲府市公式サイト:武田氏館跡 / 信玄ミュージアム公式サイト

武田氏館の歴史を簡単に紹介

武田氏館の歴史を簡単に整理すると、以下のようになります。

時代・年 出来事
永正16年(1519) 武田信虎が躑躅ヶ崎館を築き、川田館から居を移す
永正17年(1520) 館の詰城として要害山城が築かれる
大永元年(1521) 駿河勢の侵攻に際し、大井夫人が要害山へ避難。武田晴信、のちの信玄が誕生する
天文10年(1541) 晴信が父・信虎を駿河へ追放し、武田家の当主となる
天文20年(1551) 晴信の嫡男・義信の婚姻にともない、西曲輪にしくるわの造営が始まる
永禄4年(1561) 第4回川中島合戦
元亀4年(1573) 武田信玄が信濃国駒場で病死する
天正3年(1575) 長篠の合戦で武田軍が大敗する
天正9年(1581) 武田勝頼が新府城を築き、躑躅ヶ崎館から移転する
天正10年(1582) 武田氏が滅亡する
文禄2年(1593)ごろ 甲府城築城にともない、躑躅ヶ崎館は廃城へ向かう
大正8年(1919) 武田神社が創建される
昭和13年(1938) 武田氏館跡が国の史跡に指定される

武田氏館は、武田信虎によって築かれ、甲斐国支配の中心として重要な役割を果たしました。

特に武田信玄との関わりが深く、ここから信濃や駿河、上野方面へ勢力を広げていったと考えると、現地を歩く楽しさがぐっと増します。

注意ポイント

武田氏館は「信玄が築いた城」ではありません。 築いたのは、信玄の父である武田信虎です。

また、現在見られる天守台などの一部の遺構は、武田氏滅亡後に甲斐国を支配した勢力によって整備・再利用された時期のものとされています。

難しい歴史をすべて知らなくても、

ここだけ覚えればOK

武田氏館は、武田信虎・信玄・勝頼の三代が本拠とした甲斐武田氏の政治中枢でした。 現在は武田神社として親しまれていますが、周囲には堀や土塁、虎口、馬出などの城郭遺構が残っています。

ということを知っておくだけで、現地での楽しさがかなり変わります。

武田氏館では、虎口の前を守る丸馬出も注目したい見どころです。

馬出の役割や、丸馬出・角馬出の違いについては、こちらの記事で詳しく整理しています。

馬出とは?虎口の前を守るお城の防御施設をわかりやすく解説

現地写真で見る武田氏館の見どころ・建造物解説

ここからは、実際に歩いたルートに沿って、武田氏館の見どころを紹介していきます。

写真を見ながら、「どこを歩くと楽しめるか」「どこに注目するとお城らしさがわかるか」をまとめました。

まずは、武田氏館の全体像をイラストマップで確認しておきます。

武田氏館イラストマップ

武田氏館跡は、現在の武田神社がある主郭を中心に、西曲輪・味噌曲輪・稲荷曲輪・御隠居曲輪・大手などが広がっています。

今回の見学ルート

今回は、武田神社周辺を中心に、以下の順番で巡りました。

主郭
↓
西曲輪
↓
味噌曲輪
↓
稲荷曲輪
↓
御隠居曲輪
↓
大手

所要時間は、写真を撮りながらゆっくり歩いて約90〜120分ほどでした。

武田神社の参拝だけなら短時間でも見られますが、堀や土塁、曲輪を意識して歩くなら、少し余裕を持っておくのがおすすめです。

登城道は全体的に整備されていますが、土の道や草の多い場所もあるため、歩きやすい靴で行くと安心です。

見学のポイント

武田氏館は、現在の見た目だけでいうと「神社」という印象が強い場所です。 ただ、周囲を歩いてみると、堀・土塁・虎口・曲輪が残っていて、戦国大名の居館跡だったことを実感できます。

写真で振り返るおすすめポイント

主郭|現在は武田神社が鎮座する中心部

武田神社

現在の主郭には、武田信玄を祀る武田神社があります。

まず訪れたのが、武田氏館の中心部にあたる主郭しゅかくです。

現在は武田神社の境内となっており、鳥居や参道、拝殿が整備されています。

「城跡」というより神社の印象が強い場所ですが、ここがかつて武田氏館の中心だったと考えると、見え方が変わってきます。

武田氏館主郭

社号標や鳥居のある入口。現在は武田神社として多くの人が訪れる場所です。

主郭の周囲には水堀も残っています。

武田氏館 主郭南側の水堀
武田氏館 主郭南側の水堀

主郭南側に残る水堀。武田氏館がただの屋敷ではなく、防御を意識した城館だったことがわかります。

「館」という名前だけ聞くと、防御性の低い屋敷のように感じるかもしれません。

しかし実際に水堀を見てみると、ここが政治の場であると同時に、守りを意識した城館だったことが伝わってきます。

また、主郭内には宝物殿もあります。

武田神社 宝物殿
武田神社 宝物殿

武田神社宝物殿。日本100名城スタンプや展示を確認したい場合は、あわせて立ち寄りたい場所です。

宝物殿では、武田家ゆかりの資料や展示に触れることができます。

武田氏館を「武田神社」として見るだけでなく、甲斐武田氏の本拠地として理解する入口にもなる場所です。

西曲輪|信玄の嫡男・義信の婚姻をきっかけに造営された拡張エリア

西曲輪
西曲輪

主郭の西側に広がる西曲輪。広い空間から、武田氏館の規模感が伝わってきます。

続いて訪れたのが、主郭の西側にある西曲輪にしくるわです。

西曲輪は、天文20年(1551)に、武田晴信の嫡男・武田義信たけだ よしのぶと今川氏の娘の婚儀にともなって造営が始まったとされています。

つまり西曲輪は、単に館を広げるためだけの場所ではなく、武田家の後継者である義信の婚姻と関わる曲輪でもありました。

現在は広々とした空間になっており、周囲の土塁や堀を見ながら歩くと、主郭とはまた違った雰囲気があります。

特に注目したいのが、土橋や虎口です。

西曲輪 南枡形虎口
西曲輪 南枡形虎口

西曲輪の南枡形虎口。曲輪への出入りを制限する防御の工夫が見られます。

虎口こぐちとは、城の出入口のことです。

ただ道が開いているだけではなく、敵がまっすぐ入ってこられないように折れや石積みを設けることで、防御力を高めていました。

西曲輪 北枡形虎口
西曲輪 北枡形虎口

西曲輪の北枡形虎口。石積みと土塁の組み合わせが印象的です。

武田氏館は天守がある城ではありませんが、こうした虎口を見ると、戦国城郭としての工夫がしっかり残っていることがわかります。

西曲輪 土橋
西曲輪 土橋

西曲輪から味噌曲輪へ続く土橋。堀を越えて曲輪へ入る構造がわかります。

両サイドに深い堀があり、細い土橋で防御性を高めていますね。

また、西曲輪には武田義信に関わる石碑もあります。

西曲輪 石碑
西曲輪 石碑

武田信玄の嫡男・武田義信に関わる石碑。武田家の複雑な歴史を感じる場所です。

武田義信は、武田信玄の嫡男です。

西曲輪の造営が義信の婚姻と関わっていたことを知ってから石碑を見ると、この場所が単なる曲輪跡ではなく、武田家の後継者をめぐる歴史とつながる場所だったことを感じられます。

ここに注目

西曲輪では、広い曲輪そのものだけでなく、義信の婚姻をきっかけに造営された背景にも注目したいところです。 土橋・虎口・石積みとあわせて見ると、武田氏館が時代とともに拡張されていったことがよくわかります。

味噌曲輪|館の北側に設けられた“貯蔵”を思わせる曲輪

味噌曲輪

主郭の北側に位置する味噌曲輪。現在は緑に囲まれた静かな空間です。

次に見ておきたいのが、味噌曲輪みそくるわです。

味噌曲輪は、主郭や西曲輪の北側に広がる付属曲輪のひとつです。

名前だけ見ると少し不思議な曲輪ですが、絵図には「蔵屋敷」や「味噌蔵」と記されたものもあり、貯蔵施設や倉庫のような役割を持っていた可能性があるとされています。

実際、過去の発掘調査では、柱穴列・建物縁石・石組水路・井戸・溝など、多くの遺構が確認されています。

現在の現地写真だけを見ると、広場や緑地のようにも見えますが、こうした背景を知ってから歩くと、ここが単なる空き地ではなく、武田氏館の暮らしや運営を支えた実務的な空間だったのかもしれないと想像できます。

武田氏館というと、どうしても信玄や合戦のイメージが強くなります。

しかし味噌曲輪を歩くと、戦国大名の本拠地には、政務の場だけでなく、物資を保管し、館の機能を支える場所も必要だったことに気づかされます。

ここに注目

味噌曲輪は、派手な建物が残る場所ではありません。 ただ、名前や絵図、発掘調査の成果をふまえると、武田氏館の“裏方”を支えた曲輪として見ることができます。

稲荷曲輪|館の鎮守を祀ったとされる曲輪

稲荷曲輪

稲荷曲輪周辺。背後に山並みが見え、武田氏館が甲府盆地北部の地形と結びついた場所だったことを感じられます。

続いて訪れたのが、稲荷曲輪いなりくるわです。

稲荷曲輪は、主郭の北側に接するように築かれた曲輪です。

この曲輪は、館の鎮守である御崎社、つまり稲荷社を祀ることを目的として造営された曲輪とされています。

現在の写真を見ると、開けた土地と山並みが印象的な場所ですが、当時は武田氏館を守る神を祀る、精神的にも大切な空間だったのかもしれません。

武田氏館は、政治や軍事の中心であると同時に、武田家の暮らしや祈りの場でもありました。

稲荷曲輪まで歩くと、武田氏館が単なる防御施設ではなく、戦国大名の生活・信仰・政治が一体となった本拠地だったことを感じられます。

また、稲荷曲輪まで足を運ぶと、現在の武田神社周辺だけでは見えにくい、館跡全体の広がりも実感できます。

ここに注目

稲荷曲輪は、遺構の派手さよりも、館の鎮守を祀った場所という意味を知ってから歩くと印象が変わります。 武田氏館を「暮らしと信仰を含む大名居館」として見るうえで、ぜひ意識したい場所です。

御隠居曲輪|大井夫人の居住伝承が残る北東側の曲輪

御隠居曲輪

御隠居曲輪周辺。現在は落ち着いた雰囲気の空間が広がっています。

御隠居曲輪ごいんきょくるわは、武田氏館の北東側にある曲輪です。

この曲輪には、武田信虎が駿河へ追放された後、信虎の正室であり信玄の母でもある大井夫人おおいふじんが居住したという伝承が残っています。

もちろん、現地を歩いただけで当時の建物や暮らしを直接感じ取るのは難しいです。

しかし「御隠居曲輪」という名前と、大井夫人にまつわる伝承を知ってから訪れると、ここが武田家の政治だけでなく、家族の歴史とも結びついた場所に見えてきます。

主郭や西曲輪のように、土塁や虎口がわかりやすく目立つ場所ではありません。

それでも、味噌曲輪・稲荷曲輪・御隠居曲輪をあわせて歩くと、武田氏館が時代とともに拡張され、複数の曲輪を備えた大規模な戦国大名居館になっていったことを実感できます。

武田氏館は、信玄だけの場所ではありません。

信虎、信玄、勝頼、そしてその家族や家臣たちが関わった、甲斐武田氏の本拠地でした。

御隠居曲輪は、そうした武田家の人間関係や、館の奥行きを感じさせてくれる場所だと思います。

歩いて感じたこと

北側の曲輪群は、一つひとつの遺構だけを見ると少し地味です。 ただ、味噌曲輪は館の運営、稲荷曲輪は信仰、御隠居曲輪は武田家の家族史とつながる場所として見ると、かなり面白くなります。

大手|武田氏館の正面玄関にあたる重要エリア

大手復元エリアの厩跡

大手復元エリアの厩跡。発掘成果をもとに整備されたエリアです。

最後に紹介するのが、武田氏館の大手おおてです。

大手とは、城や館の正面入口にあたる場所です。

武田氏館では、現在の武田神社周辺だけでなく、大手側にも復元・整備された見どころがあります。

大手復元エリアの惣堀と土塁

大手復元エリアの惣堀と土塁。館の外側を守る防御ラインを感じられます。

大手周辺で特に注目したいのは、惣堀そうぼりや土塁です。

惣堀は、館の外側を囲む堀のことです。

このあたりを歩くと、武田氏館が主郭だけで守られていたのではなく、外側にも防御ラインを持っていたことが見えてきます。

大手復元エリアの石塁

大手周辺の石塁。武田氏館の正面入口として、防御と格式を感じさせる場所です。

石塁や土塁を見ると、武田氏館が「屋敷」ではなく、戦国大名の本拠地として整えられた空間だったことがよくわかります。

大手は、武田氏館の見学を締めくくる場所としてもおすすめです。

主郭で武田神社の雰囲気を味わい、西曲輪や北側の曲輪で館の広がりを感じ、最後に大手で城郭としての防御構造を見ると、武田氏館の魅力がかなり立体的に見えてきます。

ここだけ覚えればOK

武田氏館は、現在の武田神社だけでなく、主郭・西曲輪・北側の曲輪群・大手まで歩くことで、 「武田氏三代の本拠地」かつ「堀や土塁を備えた戦国大名居館」だったことを実感できます。

日本100名城スタンプ情報

武田氏館は、日本100名城 No.24 に選ばれています。

スタンプ情報は以下の通りです。

項目 内容
種別 日本100名城
番号 No.24
スタンプ設置場所 武田神社神府集札授与所、武田神社宝物殿
住所 山梨県甲府市古府中町2611
利用時間 授与所は8:30〜17:00、宝物殿は9:30〜16:00
休館日 宝物殿は毎週水曜日休館
入館料 境内は無料。宝物殿を拝観する場合は有料
注意点 宝物殿の休館日や受付時間に注意。訪問前に公式サイトで最新情報を確認するのがおすすめ

スタンプは、武田神社宝物殿神府集札授与所に設置されています。

武田神社の境内は自由に参拝できますが、宝物殿は開館時間や休館日があるため、宝物殿でスタンプを押す場合は時間に注意した方がよさそうです。

特に水曜日は宝物殿が休館となるため、訪問日によっては神府集札授与所の方も確認しておくと安心です。

スタンプを押すならここに注意

武田氏館は、現在の武田神社境内にある城跡です。 参拝だけなら自由に歩けますが、日本100名城スタンプは設置場所と受付時間を事前に確認しておくのがおすすめです。

実際に歩いて感じた魅力

実際に武田氏館を歩いてみて、特に魅力に感じたのは、武田神社としての親しみやすさと、戦国大名居館としての遺構が同じ場所に残っていることです。

最初は、武田神社の鳥居や参道、拝殿が目に入るので、「神社に来た」という印象が強くありました。

しかし主郭の周囲に残る水堀や土塁を見て、西曲輪、味噌曲輪、稲荷曲輪、御隠居曲輪、大手へと歩いていくと、ここが単なる神社ではなく、甲斐武田氏三代が本拠とした大規模な城館跡だったことが少しずつ実感できます。

写真や地図で見るだけでは、武田氏館の広さや曲輪のつながりは少しわかりにくいです。

でも現地で実際に歩いてみると、主郭だけでなく西曲輪や北側の曲輪群、大手まで含めて、かなり広い範囲に館跡が広がっていることがわかりました。

個人的には、西曲輪と大手周辺が特に印象に残りました。

西曲輪は、広々とした空間に土橋や虎口こぐち、石積みが残っていて、武田氏館が時代とともに拡張されていったことを感じられる場所でした。

また大手周辺では、惣堀そうぼりや土塁、石塁などを見ることができ、「館」と呼ばれながらも、しっかりと防御を意識した戦国大名の本拠地だったことが伝わってきます。

歩いて感じたこと

武田氏館は、天守や高石垣の迫力を楽しむ城ではありません。 その代わり、堀・土塁・虎口・曲輪を一つずつ見ていくことで、武田信玄たちが暮らし、政治を行った空間を想像できる城跡だと感じました。

武田氏館は、歴史好きはもちろん、武田信玄ゆかりの地を巡りたい人、神社参拝とあわせて城跡散策を楽しみたい人、甲府の歴史を感じながら街歩きしたい人にもおすすめできる場所です。

派手な天守があるわけではありませんが、歩けば歩くほど、ここが甲斐武田氏の中心だったという重みを感じられるお城でした。

周辺スポット・あわせて行きたい場所

武田氏館とあわせて訪れたい周辺スポットも紹介します。

武田氏館だけでも十分見ごたえがありますが、周辺には武田信玄や甲斐武田氏に関わる場所がいくつもあります。

時間に余裕があれば、信玄ミュージアム・要害山城・甲斐善光寺をあわせて巡ると、武田氏館の理解がさらに深まります。

信玄ミュージアム|武田氏館跡の歴史を学べる施設

信玄ミュージアム

信玄ミュージアムは、武田氏館のすぐ近くにある歴史資料施設です。

正式名称は「甲府市武田氏館跡歴史館」で、武田氏三代や武田氏館跡の歴史、発掘調査の成果などを学ぶことができます。

武田氏館を歩く前に立ち寄ると、館跡の全体像や見どころを理解しやすくなります。

逆に、武田氏館を歩いたあとに訪れると、現地で見た堀・土塁・曲輪・大手などの意味を復習できるので、こちらもおすすめです。

個人的には、武田氏館と信玄ミュージアムはセットで訪れるのが一番良いと思いました。

ここに注目

武田氏館は、現地だけを見ると「神社」という印象が強くなりがちです。 信玄ミュージアムとあわせて見ることで、ここが武田氏三代の本拠地だったことをより実感できます。

要害山城|武田氏館の詰城として築かれた山城

要害山城は、武田氏館の北東側にある山城です。

武田信虎が躑躅ヶ崎館を築いた翌年、緊急時に立てこもるための詰城として築いたとされています。

武田氏館が平時の政治拠点だとすれば、要害山城は有事の際に備えた山城です。

この2つをセットで見ると、武田氏の本拠地が「館」だけで完結していたのではなく、背後の山城と組み合わせて守られていたことがわかります。

また、要害山城は武田信玄誕生の地としても知られています。

駿河勢が甲府盆地へ攻め入った際、懐妊中だった大井夫人が要害城に避難し、のちの武田信玄を出産したと伝えられています。

ここに注目

武田氏館が「政治の中心」なら、要害山城は「守りの山城」です。 両方を訪れると、甲斐武田氏の本拠地づくりがかなり立体的に見えてきます。

ただし、要害山城は山城なので、武田氏館とは歩きやすさがまったく違います。

訪れる場合は、歩きやすい靴と飲み物を用意し、時間に余裕を持って行くのがおすすめです。

甲斐善光寺|武田信玄が創建した甲斐の名刹

甲斐善光寺は、武田信玄ゆかりの寺院です。

川中島合戦の際、信玄が信濃善光寺の焼失を恐れ、本尊や寺宝類を甲府へ移したことに始まるとされています。

武田氏館とは少し離れていますが、車ならあわせて巡りやすい距離にあります。

本堂と山門は国の重要文化財に指定されており、武田信玄ゆかりのスポットとしてだけでなく、寺院建築としても見ごたえがあります。

武田氏館で「武田家の本拠地」を見たあと、甲斐善光寺で「信玄の信仰や川中島合戦とのつながり」を感じると、旅のテーマに広がりが出ます。

ここに注目

甲斐善光寺は、武田信玄と川中島合戦のつながりを感じられる場所です。

周辺スポットまとめ

スポット名 武田氏館からの距離 おすすめポイント
信玄ミュージアム 徒歩すぐ 武田氏三代や武田氏館跡の歴史、発掘調査成果を学べる
要害山城 車で約6分 武田氏館の詰城。武田信玄誕生の地としても知られる
甲斐善光寺 車で約10分 武田信玄が創建した甲斐の名刹。川中島合戦とのつながりも深い

武田氏館へのアクセス

武田氏館は、山梨県甲府市古府中町にあります。

現在は武田神社として整備されているため、アクセスを調べるときは「武田氏館」だけでなく、武田神社を目的地にするとわかりやすいです。

電車・バスで行く場合

公共交通機関を利用する場合は、JR甲府駅からアクセスできます。

甲府駅北口からは、徒歩またはバスで武田氏館へ向かいます。

JR甲府駅
↓
甲府駅北口
↓ 徒歩約30分 または バス約10分
武田神社バス停
↓ 徒歩すぐ
武田氏館跡・武田神社

バスを利用する場合は、甲府駅北口から武田神社方面のバスに乗り、「武田神社」バス停で下車します。

武田神社バス停からは、武田氏館跡の中心部まですぐです。

徒歩でも行ける距離ですが、甲府駅からはゆるやかな上り道になるため、暑い日や荷物が多い日はバスを利用すると楽だと思います。

公共交通機関で行くなら

甲府駅北口からバスで約10分です。 本数は時間帯によって変わるため、行きだけでなく帰りのバス時刻も事前に確認しておくと安心です。

車で行く場合

車の場合は、中央自動車道の甲府昭和ICから約15分です。

目的地は「武田神社」または「武田神社駐車場」で検索するとわかりやすいです。

駐車場は、武田神社の参拝者用駐車場を利用できます。

駐車場 内容
駐車場名 武田神社参拝者用駐車場
住所 山梨県甲府市古府中町2611 周辺
料金 無料
台数 普通車154台・大型バス10台
利用時間 9:00〜16:00
城までの距離 武田氏館跡・武田神社まで徒歩すぐ

武田氏館跡は、武田神社の境内とその周辺に広がっています。

そのため、駐車場に車を停めたら、まずは武田神社の入口や主郭周辺を見て、その後に西曲輪や大手方面へ歩いていくと巡りやすいです。

休日や観光シーズン、初詣などの混雑時期は駐車場が混みやすい可能性があります。

車で訪れる場合は、なるべく早めの時間帯に到着しておくと安心です。

車で行くなら

駐車場は無料で、武田神社のすぐ近くにあります。 ただし、利用時間や混雑状況は変わることがあるため、訪問前に公式サイトで最新情報を確認しておくのがおすすめです。

まとめ

今回は、山梨県甲府市にある武田氏館(躑躅ヶ崎館)を紹介しました。

武田氏館は、武田信虎・信玄・勝頼の三代が本拠とした、甲斐武田氏の政治中枢です。

現在は武田神社として親しまれていますが、周囲には堀や土塁、虎口、馬出などの遺構が残っており、実際に歩いてみると、ここが戦国大名の本拠地だったことを感じられます。

特におすすめしたいポイントは、以下の通りです。

  • 武田神社が鎮座する主郭
  • 義信の婚姻をきっかけに造営された西曲輪
  • 館の広がりを感じられる味噌曲輪・稲荷曲輪・御隠居曲輪
  • 惣堀・土塁・石塁が見られる大手周辺
  • 武田氏館の歴史を学べる信玄ミュージアム

実際に歩いてみると、武田氏館は天守や高石垣の迫力を楽しむ城ではなく、武田信玄たちが暮らし、政治を行った空間を想像しながら歩く城跡だと感じました。

武田氏館を訪れる際は、武田神社の参拝だけで終わらせず、ぜひ主郭の周囲に残る堀や土塁、西曲輪、大手周辺にも注目してみてください。

信玄ミュージアムとあわせて巡ると、武田氏館が「神社」ではなく、甲斐武田氏三代の本拠地だったことがより深く理解できると思います。

それでは、よいお城旅を!

あわせて読みたい

武田氏館を歩く前に、武田信玄の生涯をざっくり知っておくと、現地の見え方が大きく変わります。

信玄がどのように甲斐を治め、信濃へ勢力を広げ、川中島の戦いや三方ヶ原の戦いへ向かっていったのかは、こちらの記事で詳しく紹介しています。

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武田信玄といえば、やはりライバルとして知られる上杉謙信の存在も外せません。

上杉謙信の本拠地・春日山城については、こちらの記事で紹介しています。

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武田氏館と春日山城をあわせて知ると、川中島合戦をはじめとした信玄と謙信の関係も、より立体的に見えてきます。

お城の基本的な役割や、天守だけではない見どころについては、こちらの記事で初心者向けに整理しています。 blog.castle-journey.com