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甲相駿三国同盟とは?武田・北条・今川の関係をわかりやすく解説

甲相駿三国同盟をわかりやすく紹介するアイキャッチ 甲斐相模駿河の位置関係と武田北条今川の同盟関係を表している

甲相駿三国同盟とは、戦国時代に、甲斐国の武田氏、相模国の北条氏、駿河国の今川氏の間で結ばれた同盟です。

名前だけ見ると少し難しく感じますが、意味はシンプルです。

甲斐の武田、相模の北条、駿河の今川が、お互いに争わず、それぞれの方面へ動きやすくするために結んだ同盟です。

この同盟は、単なる約束ではありませんでした。

三つの家は、婚姻関係によって強く結びつきました。

武田信玄、北条氏康、今川義元という有力な戦国大名が、それぞれの利害を考えながら結んだ大きな外交関係だったのです。

とくに武田信玄にとって、甲相駿三国同盟は重要でした。

南の今川、東の北条との関係を安定させることで、信玄は信濃方面へ進みやすくなりました。

つまり、甲相駿三国同盟を知ると、武田信玄の信濃侵攻や川中島の戦い、そして後の駿河侵攻の流れが理解しやすくなります。

この記事では、甲相駿三国同盟について、初心者にもわかりやすく整理します。

この記事でわかること

・甲相駿三国同盟とは何か
・武田・北条・今川はなぜ同盟したのか
・甲斐・相模・駿河はどのような位置関係だったのか
・婚姻関係によって三国がどう結ばれたのか
・なぜ同盟は崩れ、駿河侵攻へつながったのか

甲相駿三国同盟とは?まずは簡単にいうと

ここがポイント

・甲相駿三国同盟は、甲斐の武田氏、相模の北条氏、駿河の今川氏による同盟
・三者は婚姻関係によって結びついた
・武田信玄にとっては、信濃方面へ進むための重要な外交関係だった

甲相駿三国同盟とは、甲斐の武田氏、相模の北条氏、駿河の今川氏による同盟です。

「甲相駿」という言葉は、それぞれの国名を表しています。

文字 国名 現在のおおよその地域 主な勢力
甲斐国 山梨県 武田氏
相模国 神奈川県西部・中部周辺 北条氏
駿 駿河国 静岡県中部・東部周辺 今川氏

つまり、甲相駿三国同盟とは、現在の山梨県・神奈川県・静岡県に関わる三つの戦国大名の同盟と考えるとわかりやすいです。

この同盟で中心になる人物は、次の三人です。

主な人物 本拠地・中心地のイメージ
武田氏 武田信玄 甲斐・武田氏館
北条氏 北条氏康 相模・小田原城
今川氏 今川義元 駿河・駿府

この記事では、わかりやすさを優先して「武田信玄」と表記します。

ただし、当時の名前としては、信玄は出家後の法名であり、諱としては武田晴信と呼ばれる時期にあたります。

武田信玄の名前については、こちらの記事で詳しく整理しています。

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甲相駿三国同盟に登場する甲斐相模駿河の位置関係を整理した図解

なぜ甲相駿三国同盟が結ばれたのか

ここがポイント

・三国はそれぞれ敵を抱えており、背後を安定させたかった
・武田氏は信濃方面へ進むために、南と東を安定させる必要があった
・今川氏と北条氏にとっても、別方面へ力を向けるために同盟は意味があった

甲相駿三国同盟が結ばれた理由を、ひとことでいうと、それぞれが背後を安定させたかったからです。

戦国時代の大名は、周囲のすべての勢力と同時に戦うことはできません。

北へ進むなら、南側を安定させる必要があります。

西へ進むなら、東側を安定させる必要があります。

関東へ広がるなら、背後から攻められないようにする必要があります。

このように考えると、甲相駿三国同盟は、三つの家がそれぞれの戦略を進めるための外交関係だったと見ることができます。

武田氏|信濃方面へ進みやすくなる

武田信玄にとって、甲相駿三国同盟の大きな意味は、信濃方面へ進みやすくなることでした。

武田氏の本拠である甲斐は、南に今川氏、東に北条氏、北西に信濃があります。

もし南の今川氏や東の北条氏と争っていれば、信玄は信濃方面へ全力を向けにくくなります。

しかし、今川氏や北条氏との関係が安定すれば、武田氏は信濃方面へ動きやすくなります。

実際、武田信玄の信濃侵攻を考えるうえで、甲相駿三国同盟はとても重要です。

武田信玄の信濃侵攻については、こちらの記事で詳しく整理しています。

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北条氏|関東方面へ力を向けやすくなる

北条氏にとっても、甲相駿三国同盟は意味がありました。

北条氏は相模を中心に、関東方面へ勢力を広げていました。

しかし、西側にいる武田氏や今川氏と争い続ければ、関東方面へ力を向けにくくなります。

武田氏・今川氏との関係が安定すれば、北条氏は関東方面での戦いに集中しやすくなります。

つまり、北条氏にとっても、同盟は背後を安定させる意味を持っていました。

今川氏|西へ進むための安定が必要だった

今川義元にとっても、同盟は重要でした。

今川氏は駿河・遠江・三河方面に勢力を持ち、西の尾張方面とも関わっていました。

西へ進むうえで、北の武田氏や東の北条氏との関係を安定させることは大きな意味がありました。

つまり、甲相駿三国同盟は、三者のうち誰か一人だけが得をする同盟ではありません。

それぞれが自分の方面へ動きやすくなるための同盟だったのです。

甲斐・相模・駿河の位置関係をわかりやすく整理

ここがポイント

・甲斐は武田氏、相模は北条氏、駿河は今川氏の中心地
・三国は富士山周辺をはさんで近い位置にあった
・隣り合う勢力だからこそ、同盟にも対立にもなりやすかった

甲相駿三国同盟を理解するには、まず位置関係を押さえるとわかりやすいです。

武田氏の甲斐、北条氏の相模、今川氏の駿河は、いずれも現在の関東・中部の境目に近い地域です。

ざっくり見ると、次のような関係になります。

現在の地域 方角のイメージ
甲斐 山梨県 富士山の北側・内陸
相模 神奈川県方面 富士山の東側・関東方面
駿河 静岡県中部・東部 富士山の南側・東海道方面

甲斐の武田氏から見ると、南に今川氏、東に北条氏がいました。

そのため、武田信玄が信濃方面へ進むには、南と東の関係をどう安定させるかが大切でした。

一方で、北条氏から見ると、武田氏や今川氏と対立しすぎると、関東方面の戦いに集中しにくくなります。

今川氏から見ると、武田氏や北条氏との関係を安定させることで、東海道方面への動きがしやすくなります。

このように、甲相駿三国同盟は、地図で見ると意味がつかみやすい同盟です。

武田北条今川の三角関係 甲斐相模駿河の三国が互いに背後を安定させた関係を示す図解

甲相駿三国同盟は婚姻関係で結ばれた

ここがポイント

・甲相駿三国同盟は、婚姻関係によって強められた
・武田、北条、今川のあいだで子女が嫁ぎ、親族関係が作られた
・戦国時代の同盟では、婚姻は重要な外交手段だった

甲相駿三国同盟の大きな特徴は、婚姻関係によって結ばれたことです。

現代の感覚では、同盟というと条約や書類をイメージするかもしれません。

しかし、戦国時代の大名同士の関係では、結婚によって親族関係を作ることが、とても重要な外交手段でした。

甲相駿三国同盟でも、三つの家は婚姻によって結びつきました。

代表的な関係を整理すると、次のようになります。

婚姻関係 意味
武田信玄の娘・黄梅院が北条氏政に嫁ぐ 武田氏と北条氏の関係を強める
北条氏康の娘・早川殿が今川氏真に嫁ぐ 北条氏と今川氏の関係を強める
今川義元の娘が武田義信に嫁ぐ 今川氏と武田氏の関係を強める

ここで大切なのは、単に三家が「仲良くしましょう」と言っただけではないことです。

婚姻関係によって、三つの家は親族として結びつきました。

もちろん、婚姻関係があるからといって、同盟が永遠に続くわけではありません。

それでも、戦国時代において婚姻は、同盟の信頼性を高める重要な方法でした。

甲相駿三国同盟を結んだ武田北条今川の婚姻関係を整理した図解

甲相駿三国同盟によって何が変わったのか

ここがポイント

・武田信玄は信濃方面へ動きやすくなった
・北条氏は関東方面へ、今川氏は西方面へ力を向けやすくなった
・同盟は三国それぞれの戦略を支える土台になった

甲相駿三国同盟によって、三つの家はそれぞれ別の方面へ動きやすくなりました。

武田信玄は信濃侵攻を進めやすくなった

武田信玄にとって大きかったのは、信濃方面へ力を向けやすくなったことです。

信濃は現在の長野県にあたる広い地域です。

武田信玄は、諏訪方面、中信濃、東信濃、北信濃へと勢力を広げていきました。

しかし、信濃へ進むには、背後の安定が欠かせません。

甲相駿三国同盟によって、南の今川氏、東の北条氏との関係が安定したことは、武田信玄の信濃侵攻を考えるうえで大きな意味を持ちます。

川中島の戦いにもつながっていく

武田信玄が信濃へ進むと、やがて北信濃の勢力と衝突します。

村上義清ら北信濃の武将は、越後の上杉謙信を頼ることになりました。

その結果、武田信玄と上杉謙信が北信濃をめぐって対立し、川中島の戦いへつながっていきます。

つまり、甲相駿三国同盟は、川中島の戦いそのものではありません。

しかし、武田信玄が信濃方面へ動きやすくなった背景として、とても重要な出来事です。

川中島の戦いについては、こちらの記事で詳しく整理しています。

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第四次川中島の戦いについては、こちらの記事で詳しく解説しています。

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今川氏と北条氏も動きやすくなった

同盟によって動きやすくなったのは、武田氏だけではありません。

北条氏は関東方面へ、今川氏は西方面へ力を向けやすくなりました。

このように、甲相駿三国同盟は、三国それぞれにとってメリットのある同盟でした。

だからこそ、戦国時代の東国情勢を理解するうえで重要な同盟として語られるのです。

甲相駿三国同盟はなぜ崩れたのか

ここがポイント

・桶狭間の戦いで今川義元が討たれ、今川氏の力が揺らいだ
・今川氏の弱体化によって、三国のバランスが崩れていった
・最終的に武田信玄の駿河侵攻によって、同盟は大きく崩れる

甲相駿三国同盟は、強い婚姻関係で結ばれた同盟でした。

しかし、永遠に続いたわけではありません。

大きな転機になったのが、桶狭間おけはざまの戦いです。

桶狭間の戦いで今川義元が討たれる

永禄3年(1560)、今川義元は尾張方面へ進みました。

しかし、桶狭間の戦いで織田信長に敗れ、討ち取られます。

今川義元は、今川氏の大きな柱でした。

その義元が突然いなくなったことで、今川氏の力は大きく揺らぎます。

今川氏真が跡を継ぎますが、今川氏の支配は次第に不安定になっていきました。

今川氏の弱体化で同盟のバランスが崩れる

甲相駿三国同盟は、武田・北条・今川の三者が一定の力を持っていることで成り立っていました。

ところが、今川氏が弱体化すると、三国のバランスが崩れます。

武田信玄にとって、駿河は南にある重要な地域でした。

駿河には海があり、東海道にもつながります。

甲斐を本拠とする武田氏にとって、駿河は大きな意味を持つ地域でした。

そのため、今川氏が弱ると、武田信玄は駿河方面へ目を向けるようになります。

駿河侵攻へつながる

やがて武田信玄は、駿河へ侵攻します。

これが駿河侵攻です。

駿河侵攻によって、甲相駿三国同盟は大きく崩れます。

なぜなら、武田氏が同盟相手だった今川氏の領国へ攻め込んだからです。

さらに、今川氏と婚姻関係を持っていた北条氏にとっても、武田氏の駿河侵攻は見過ごせない動きでした。

こうして、甲相駿三国同盟は、武田・北条・今川の安定した関係から、武田の南進、今川の没落、北条との対立へと大きく変わっていきます。

駿河侵攻については、別記事で詳しく整理する予定です。

甲相駿三国同盟の成立から桶狭間の戦いと駿河侵攻による崩壊までを整理した年表

駿河侵攻については、こちらの記事で詳しく整理しています。

武田信玄の駿河侵攻とは?今川氏を攻めた理由と甲相駿三国同盟崩壊をわかりやすく解説

甲相駿三国同盟の流れを年表で整理

ここがポイント

・同盟は婚姻関係によって強められた
・桶狭間の戦いが同盟崩壊の大きな転機になった
・最終的には武田信玄の駿河侵攻へつながった

甲相駿三国同盟の流れを、年表で整理してみます。

細かな年次には見方の違いもありますが、初心者はまず大きな流れを押さえるとわかりやすいです。

時期 出来事 ポイント
1550年代 武田・北条・今川の関係が整えられる 婚姻関係によって同盟が強まる
1550年代半ば 甲相駿三国同盟が成立 三者が背後を安定させる
1560年 桶狭間の戦い 今川義元が討たれ、今川氏が揺らぐ
1560年代 今川氏の力が弱まる 三国のバランスが崩れる
1568年 武田信玄が駿河へ侵攻 同盟が大きく崩れる
その後 武田・北条・今川の関係が変化 東国の勢力関係が再編されていく

甲相駿三国同盟は、成立したときだけを見ると、三つの大名家の安定した外交関係に見えます。

しかし、その後の流れを見ると、武田信玄の信濃侵攻、川中島の戦い、今川氏の弱体化、駿河侵攻へとつながる重要な出来事だったことがわかります。

甲相駿三国同盟を知ると、武田信玄の戦略が見えやすくなる

ここがポイント

・甲相駿三国同盟は、武田信玄の戦略を理解するうえで重要
・信濃侵攻や川中島の戦いは、背後の安定とあわせて見ると理解しやすい
・同盟崩壊後の駿河侵攻まで見ると、信玄の動きが立体的に見える

甲相駿三国同盟は、単なる外交用語ではありません。

武田信玄の戦略を理解するうえで、とても重要な出来事です。

なぜなら、この同盟によって、武田信玄は南や東を安定させ、信濃方面へ進みやすくなったからです。

そして、信濃方面へ進んだ結果、北信濃で上杉謙信とぶつかり、川中島の戦いへつながっていきます。

一方で、桶狭間の戦いによって今川氏が弱体化すると、今度は駿河方面が大きな意味を持つようになります。

信玄は、やがて南へ向かい、駿河侵攻へ進みます。

つまり、甲相駿三国同盟を知ると、武田信玄の動きが次のようにつながって見えます。

甲相駿三国同盟から信濃侵攻川中島の戦い駿河侵攻へつながる流れを整理した図解

流れ 内容
1 甲相駿三国同盟で南・東を安定させる
2 武田信玄が信濃方面へ進みやすくなる
3 北信濃で上杉謙信と対立する
4 川中島の戦いにつながる
5 桶狭間の戦い後、今川氏が弱体化する
6 武田信玄が駿河侵攻へ向かう

この流れを見ると、甲相駿三国同盟は、武田信玄の前半から中盤の動きを理解するための土台になります。

武田信玄の生涯については、こちらの記事で全体を整理しています。

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武田信玄を支えた家臣団については、こちらの記事で紹介しています。

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甲相駿三国同盟ゆかりの場所

ここがポイント

・武田氏館は、武田信玄の本拠地として重要
・春日山城は、同盟後に信濃方面で対立する上杉謙信の本拠地として関係する
・場所とあわせて見ると、同盟と合戦の流れが理解しやすい

甲相駿三国同盟は外交関係の話ですが、城や場所とあわせて見ると理解しやすくなります。

武田氏館

武田氏館は、武田信玄の本拠地です。

甲相駿三国同盟を考えるとき、武田信玄がどこを拠点にして、どの方面へ動こうとしていたのかを見ることが大切です。

武田氏館を中心に考えると、南に今川氏、東に北条氏、北西に信濃があることが見えてきます。

武田氏館の記事では、現在の武田神社周辺の見どころも紹介しています。

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春日山城

春日山城は、上杉謙信の本拠地として知られる山城です。

甲相駿三国同盟そのものは、武田・北条・今川の同盟です。

しかし、武田信玄が信濃方面へ進むと、やがて越後の上杉謙信と対立します。

その意味で、春日山城は、甲相駿三国同盟の先にある川中島の戦いを理解するうえで重要な場所です。

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甲相駿三国同盟を理解するための関連記事

ここがポイント

・甲相駿三国同盟は、武田信玄の生涯とあわせて読むと理解しやすい
・信濃侵攻、川中島の戦い、駿河侵攻への流れが重要
・武田氏館や春日山城の記事とあわせると、場所のイメージもつかみやすい

甲相駿三国同盟は、単独で見ても重要な同盟です。

ただし、武田信玄の動き全体の中で見ると、さらに理解しやすくなります。

武田信玄を知る

武田信玄の生涯

武田信玄がどのように甲斐から信濃、駿河方面へ勢力を広げたのかを整理した親記事です。

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武田信玄の本名

武田信玄の名前について、幼名・諱・法名を整理した記事です。

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武田信玄の家臣団

武田信玄の強さを支えた家臣団について、役割ごとに整理した記事です。

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信濃侵攻と川中島を知る

武田信玄の信濃侵攻

甲相駿三国同盟によって南や東を安定させたあと、武田信玄がどのように信濃へ進んだのかを知るための記事です。

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川中島の戦い

武田信玄と上杉謙信が北信濃をめぐって争った戦いです。

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第四次川中島の戦い

川中島の戦いの中でも、もっとも有名な第四次川中島の戦いを詳しく整理した記事です。

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関係する城を知る

武田氏館

武田信玄の本拠地です。甲相駿三国同盟を、武田氏の本拠地から見直すと位置関係がわかりやすくなります。

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春日山城

上杉謙信の本拠地です。甲相駿三国同盟の後、信濃方面で武田信玄と上杉謙信が対立していく流れを考えるうえで重要です。

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まとめ|甲相駿三国同盟は武田信玄の戦略を理解する重要な同盟

この記事のまとめ

・甲相駿三国同盟は、甲斐の武田氏、相模の北条氏、駿河の今川氏による同盟
・三者は婚姻関係によって結びつき、それぞれの方面へ動きやすくなった
・今川義元の桶狭間での敗死後、同盟のバランスが崩れ、駿河侵攻へつながった

甲相駿三国同盟は、甲斐の武田氏、相模の北条氏、駿河の今川氏による同盟です。

「甲」は甲斐、「相」は相模、「駿」は駿河を表します。

この同盟は、三つの家が婚姻関係によって結びついた点が大きな特徴です。

武田信玄にとっては、南の今川氏、東の北条氏との関係を安定させることで、信濃方面へ進みやすくなる意味がありました。

その結果、武田信玄の信濃侵攻や、上杉謙信との川中島の戦いを理解するうえでも、甲相駿三国同盟は重要な背景になります。

一方で、桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、今川氏の力は大きく揺らぎました。

その後、三国のバランスは崩れ、やがて武田信玄の駿河侵攻へとつながっていきます。

甲相駿三国同盟は、単なる「武田・北条・今川の同盟」ではありません。

武田信玄がなぜ信濃へ進めたのか。

なぜ川中島の戦いへつながったのか。

なぜ後に駿河侵攻へ向かったのか。

そうした流れを理解するための、とても重要な外交関係だったのです。